高千穂

数えで20を少しばかり過ぎたころ、古事記を読んで宮崎の高千穂を目指しました。

博多から夜行バスで7000円。

高名な高千穂神楽は見たかったので、事前に調べて、高千穂のホテルが開催しているデーツアーを申し込みました。夜の神楽だけ参加できるようにして、後は自由な、とても短い訪問でした。

深夜バスで昼の少し前にホテルに到着、ホテルの周りに飲食店なんかなくて、一軒だけラーメン屋がありました。ホテルの人に確認するも、開いている飲食店はここ一軒。貴重なラーメン屋。

おなかが空いて、はじめて一人でラーメン屋に入りましたねぇ。

ライダーさんが食べに来ているようでした。同じバスで、同じツアーに参加する人もいたように思います。

まずは神社参詣に。

天の岩戸を見に来ました、と受付で伝えたら、若い神職の方が出てきて、丁寧に案内してくださいました。

岩戸があまりに大きくて、本当にびっくりしたことを、しわしわになった今でも覚えています。

神様は巨人なのかしら、と思ったものです。山の崖の一部のような戸。アマテラス大神に声をかけるために戸をひくのだって、どんなに日光が恋しくたって、人間にはとても無理。ましては扉を開けて引きずり出すなんてもっての他。

人間の分際で声をかけるなんて恐れ多いとかいう話ではなく、物理的に無理なんだ、ということがなんだか新鮮でした。愛おしい伝説、慕わしい神様。

参拝の人全員にしているのでしょうか、神官様は若くて世間知らずで小娘だった私に、岩戸の話を丁寧に説明くださって、お清めもくださいました。

晩は、竹筒から飲むお酒(クロレラが入って、香りも良い)、不思議な踊り。楽しい晩を過ごした翌日は高千穂峡へ。

観光地が限られていることもあって、そこここでホテルや神楽をご一緒した家族に会いました。

高千穂峡の船は、二人からしか乗れなくて、がっかりしているところに、親切に船に乗せてくださった家族がありました。老夫婦と息子さん夫婦とお孫さんが一人おりました。

その後、お昼はまた別な家族とご一緒したんですよ。こちらにはこまっしゃくれてるのにとても可愛い、それは賢そうな兄妹。熊本から来た家族で、福岡に戻った後1,2回手紙や電話のやり取りがありました。今でも覚えているのに、それきりになってしまったご家族です。

ご家族が私の船賃も食事代も払ってくれたこと、可愛いお孫さんがいたり、仲良しの兄弟がいたこと。笑顔が素敵だったこと。あの子たちが、もうおじさんやおばさんになっているのかしら、と思うとなんだか愉快で寂しい気持ち。

しばらく(?)前の高千穂峡。今でもおなじくらい、いいえ、もっときれいだといいな。この写真は船に乗せていただけたからこそ撮れた風景です。

お父様やお母様と同じように、どこかで貧乏な学生に親切にしているのかしら。

私もそんな大人になろうと思っていたのに、いつの間にかこんな年。

見ず知らずの人に声をかけてご一緒するには、女の独り身では、こんなおばあちゃんでも勇気が要って、怖かったのもあるし、結局そこまで知らない若者を受け入れるだけの器を、いまだに持てていないみたい。

とても心残りです。死ぬまでにぜひ実践したいことの一つです!

「旅する若者の、心広き年長者として愛をもって美しい思い出のひと時に参加すること」

若かったころ、私は無邪気で、恐れ知らずで、誰とでもおしゃべりできて、そういう花束を時々受け取りました。

美しい土地、優しい人たち、若い日に素敵な花を添えてくださって、本当にありがとうございました。私はいつでもあなた方を胸に飛び続けていました。だからどうというわけではないけれど、皆さんの幸せをずっと祈っています。

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