道を教えてくれる人

ロンドンの歩道

私は旅人なのですが、大変方向感覚がないのです。

初めてのところでは必ず迷子になります。

それも自分でなぜそこに行く着いたのか全く分からない、という迷い方をします。碁盤の目といわれる京都では90度か180度は日常茶飯事。ですので、人に道を聞くことに躊躇はありません。

旅の友の中には、人に道をすぐ聞くことを嫌がる方もいましたし、確かにお手間とお時間をかけてしまうのは申し訳ないことです。でも見知らぬ小娘のために30分以上一緒に歩いてくれた方、そのご縁でその後何十年も交流のある方がいたりして、旅人が迷うことは、ただそれ以上の意味を持つことも良くあるのです。

自分で言うのもなんですが、私は人を見る目がある方だと思います。同じ旅人をかぎ分けて、確証はなくともその人達の後ろをついていって目的地についたのも1度や2度じゃあありません。

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人に道を聞いて、親切で正確な情報をくれるのは、これまでの経験ではともかく女性です(自分統計)。

間違っていないか、第3者に確認までしてくれます。

一番正確で安心なのがお母さん世代の女性二人連れ。二人で情報を確認しあってくれますし、一人旅の女性を困ったまま放置することは、彼女たちの辞書にはありません。確実で、しかも一番リーゾナブルな道筋を示してくれます。

それから、必ず足を止めてくれるのは、若いカップル。ポイントは女性側に声をかけること。彼女らは本当にsweetです!

そういう時私は、この女性が男性に守られている、と感じていること、親切にしたいと感じてくれて、一生懸命親切にしてくれていることを感じてうれしくなります。男性も彼女と一緒に一生懸命協力してくれるので、情報も正確!共にいて誰かに親切になれるカップル、これ以上素晴らしいことがあるでしょうか。いつまでも固く愛で結ばれていてほしいです。ほんと。

熟年カップルになると、彼らは急いでいるので、説明が簡単になります。外国語で、完全に地理がないところにいると、それだけで目的地にたどり着けることはめったになく、それから2人3人と続けて道を聞くことになります。これは私の方向感覚のなさが尋常ではないレベルだからでもあります。。。

でも立ち止まってはくれるんですよ。

一人の人に声をかけるとき女性はたいてい足早に立ち去っていきます。言葉を返してくれても語る言葉は少ないです。警戒してるんですね。

そうやって考えると、男性の皆さん、あなたが彼女の傍にいることは、たとえ家庭が冷え切っているとあなたが感じていようと、例えケンカしていようと、なかなかに深い意義があると私は思いますよ。

多少悪いですが家族連れの時は子供に声をかけています。子供が止まってくれるので、ささっと親が出てきて、教えてくれるわけですね。私も比較的安心して道がきけます。親って本当に頑張ってる人たちです。

一人の人で立ち止まってくれるのは、まず、ある程度年齢の高い男性。若者は時々ですね。

これはやはり男性と女性の違いの一つなのかもしれません。

人類の場合、良く女性は社交的だといいますが、おそらく男性の方は外交的なのではないかしら、と。ゴリラでもチンパンジーでも、まず外から来たゴリラやチンパンジーと接触するのは群れの中のオスですしね(私は生物学者です。霊長類が専門ではないですが)。生物学的なことだと思うと、道を聞く、という行動一つも行動学的には興味深いです。

ちなみに男性に道を聞いた時の問題点は、提供される情報が超適当。言われたとおり行って、迷子に拍車がかかったことがこれまでに何度もあります。自信たっぷりに思い込みを提供する、親切心たっぷりの人というのは、こっちもうっかり信じてしまうので、なかなか手ごわく、男性に道を聞いた後は、10分後に別な誰かに再確認することにしています。3人聞いて、2人違ったことがありますが、その二人の間違った方向が一致していたこともあるので、悪意はなく、ともかく私の目的地に似た何かがそこにある、ということなんでしょうねぇ。男性も、私に負けないお年寄りに道を聞くと、割と情報が正確になります。確認する仕草も丁寧になります。若いときからしわしわになるまで(つまり私が妙齢の時も老齢の時も変化なく)、そんな反応なので、この年齢による変化は興味深いです。

そんな具合に若者から中年まで男性から提供される情報は適当でしたが、不思議に、本当にのっぴきならない状況で、タクシーを呼ぶ(電車とバスが休業するスペインの日曜日など)、など行動をもって何とかしてくれたのは、この年齢の男性が多かった気もします。

いきなり語学講座が始まったこともあります。最終目的地まで、どのように乗り換えていけばいいか、スペイン語で何度も何度も繰り返してくれて、私に複唱させるのでした。実はおとなしく復唱しつつも、自分が何を復唱しているのかは意味が全く分かっていなかったのです。その時は。あれはなんだったんだろう、と帰国して、かなりたってからようやく気が付いたのでした。役には立たなかったけど、そうか!と気が付いたときに、心にぽっと光がともったことを覚えています。

ありがたいし、憎めないけど当てにはできない、これが男性の親切かしら~と、おばあさんは思いますよ。

ふふふ。

間違わない人が立ち止まってくれない人なら、間違っても困っている私の不安を和らげるよう一生懸命考えてくれた方々。

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知らない土地を歩くことは、やさしさに触れることです。

道を教えてくれる、旅人ヘルパー。名前も知らないもう2度と会うこともない、会っても多分わからない、彼らの道に、たくさんの明かりが灯り続けていますように。

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