モンゴルの櫛占い

モンゴルのノマドの女性たちは、朝は日の出とともに(家族の中でお母さんだけ)目を覚まし、朝一番にスーテ茶を作り、これを山に捧げて祈り(お母さんだけですよ)、いつもニコニコして、家を暖かくして、家畜からミルクを搾って、モンゴルハーブを入れてお茶を作り、ハーブを摘みにいったり、水汲みへ川の上流へ歩いたり、家畜を放牧し、暖炉で暖を取り、その暖炉(竈)でスーパーに行かずに何でも料理でき、絞ったミルクで馬乳酒や牛乳酒を造り、困ったことがあれば占いをして、孫や娘の方も訪問を首を伸ばして待ちながら、日々を紡ぐのです。(カレンダーがない生活なので、毎日お父さんが「今日来る」、と言っていたお孫さんはなかなか現れず、私が立ち去る直前に偶然の計らいで会えたのでした)

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モンゴルでお世話になっていた時に、馬が行方不明になったことがありました。

聖なるボグド山の麓のゲルで、隣のゲルまでかなり歩くうえ、放牧に行くときに牛を道路の向こうまで連れて行ってあとは自由にさせるような、そんな家畜管理ではありましたが、きちんと管理されているのですね。ただ、馬の話は、動物の自由度が高いのかあるいは誰か盗人がいたのか、この辺は微妙なところで、あの時はどうも後者だったようです。

お世話になっていた家のお父さんはレンジャーで、知らせを受けたとたん降りしきる雨の中にジャンパーだけを羽織って飛び出していきました。

その馬を失うことは、非常に良くないことだったようで、お母さんもお嬢さんのブバーもとても不安げだったのを覚えています。状況を把握しきれないながら私とモモさん(日本語ができるモンゴル人の女の子)も不安。

日が落ちれば見つけるのは難しいし、外の寒さも半端ありません。ジャンパーを着ていても、指がかじかむ晩の寒さは、雨に濡れたお父さんの身に応えるでしょう。

みんなで肩を寄せ合って、待つこと3時間強、そろそろ16時近くになったころだったと思います。「お父さん、遅いね」、と語り合う私たちを横目に、お母さんが突然立ち上がり、櫛をもってきました。

「櫛占いをするわ」

厳かに宣言するのを、「お母さんって占い出来るの?」「モンゴルに古くから伝わるまじないみたいなものよ」私とモモさんでこそこそ。「櫛の歯が欠けたら、馬は出てこない、欠けなければ馬は出てくるわ」

お母さんが持っているその櫛は、確かにいくつか歯が欠けています。

お母さんはじっと櫛を見つめています。

ブバーが真剣に覗き込んでいます。

二人が見ているものが本当に何かはわからないままに私もじっと見つめます。

と、二人が顔を上げました。

そして晴れ晴れといいました。

「馬は見つかるわ。お父さんは直に帰ってくる」

その後はすっかり心配な空気はなくなって、まるですぐに帰ってくるお父さんを迎える準備をするかのように、食べものとお茶の確認、暖炉の火の確認などをし始めました。

「櫛の歯、折れなかったの?」と私。「私には占い方はわからないのよ」とモンゴル人ですがシティガールのモモさん「でも大丈夫みたいよ」

そして、30分程度した頃でしょうか。外で男の人の声。顔を出すと、お父さんがいて、馬探しを一緒にしたらしいレンジャー仲間に家で休んでいくよう誘っているではありませんか。

えぇ、帰ってきました、そうです、馬を連れて!

雨に打たれてブルブルしているお父さんともう一人のレンジャーの方を暖炉の前に連れて行って、急いでスーテ茶を出すお母さん。あとは、お父さんともう一人のレンジャーさんが語る冒険に家族が全員耳を傾け、とても賑やかなひと時に。

(櫛の歯が欠けるかって占ったら、いつか髪を梳けないくらい櫛の歯がなくなっちゃうんじゃないかしら)

と要らない心配をしながらも、なんだか温かな気持ちになる出来事でした。

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彼らの生活は厳しい、でも豊かだ、と私は心から賞賛の気持ちを惜しみません。

彼らが現代的な生活を望むなら、それを束縛したくもない、でもあの素朴大変な生活の中に、本当に尊いものを分けてもらった経験でした。

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数年後、日本政府とモンゴル政府が原子力発電の廃棄物に関する条約を結びました。

私たちが日本から出す原発の廃棄物は、モンゴルに埋められることになったそうです。

一週間かけて北京からモスクワまで、音を立てて走る列車を素朴に見つめる、あの人々が立つ広い草原に。

ボグド山

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