トリニダード・トバゴ

昨日と一昨日と、ベトナムのサパのことを書いたので、懐かしくなって娘にgoogle検索してもらって、びっくり。

私が旅したころと、ずいぶん様相が変わってしまっていました。

同じところを旅しても、同じ風景にさえ出会えない、それは当たり前なんですけど、年を取ると若い頃当然のように受け入れていたこともなんだか切なく感じます。

私たちが旅した頃は主にザオ族とクロモン族が、あの棚田が広がる土地土地に住んでおり、クロモン族はひどく貧しく物売りをしているけれど、ザオ族はまだお金があるから、という背景からホームステイ先はザオ族の家でした。自家発電機(当時で150万円で設置可能)があったり、水洗トイレやシャワーがある、木造の家。そうはいっても、集落に水洗トイレがあるところは限られていて、流れる川の上に植物で編まれた小屋があって、床には穴が開いていて、簡易水洗トイレとして案内されたり。台所は土間で、火打石で火をつける竈がありました。ガイドのお兄さんはよくここで卵焼きを焼いてくれました。私たちはこの少数民族の村で見事にお腹を下し、原因は兄ちゃんの卵焼きだと笑いあったものですが、洗い物をする川が、水洗トイレにもなっていたことを想えば、まぁ仕方ないですね。花モン族とかは、また別の集落にお住まいだと聞きました。

水牛に乗って仕事へ向かう少年がいたり、学校へ向かう民族衣装に身を包んだ幼い少女たち。生活は良くなったのでしょうか。時代の流れは、優しく訪れても旅人には急に思える時があるものです。思えば日本も、私の母が生きていた時の中で着物は普段着でなくなっていったわけですが、インターネットを通してみるサパの村にはそうした波が訪れたようでした。

私たちが旅したころは、おそらくそうした変化が起こり始めた初めの頃。

ツアーバスを降りれば小さな子供たちが、売りものを抱えて寄ってきて、「どこから来たの、日本?」と英語でしきりに聞いてきました。でも「子供たちには、飴を用意していけばいいのよ。日本のお菓子は喜ばれるから。」とハノイでマダムに聞いた通り、物が売れることよりもお菓子を喜ぶ子供たちでした。「待ってください、安いですよ」と日本語で刺しゅうの飾りをもって後ろをついてくるおばあさんが、突然「おいこら、待て」といって、誰だこの日本語教えたやつは?と友達と顔を見合わせたり。

湿度の高い村の中、毎日10km、13kmと、村々を移動して、トレッキングシューズは棚田の水で最後には水浸しになって、最終日にたどり着いたサパ市内で物売りの方やホームスティでお世話になった少数民族の方、つまり村で見かけた人たちが全員履いていたゴムサンダルを買ったら、びっくりするくらい足に心地よく吸着し、やはり土地の品は土地の生活に合っているんだ、と感心しました。でも市内で話したヨーロッパ系の女性によると、棚田にはたくさんのスクリューワームがいるから決してサンダルで行ってはいけないそうです。ベトナムにいる種については詳しくはないですが、スクリューワームは一般に人間を含む生きた動物の傷口に卵を産んで生まれた幼虫はその動物の肉を食べながら育つというハエのウジのことです。「土地の人は?」と聞いた私に「残念だけど寄生されている人も多いと思うわ」とのことでした。

あの村に訪れた変化は、そうした問題も改善してくれているでしょうか。

土地の人との交流は、ガイドさんや家を提供くださった家族を除けば、物売りの人たちばかりだったでしょう。毎日だいたい10km歩く予定で荷物も増やしたくない上、お金持ちでもなかった私たちは、買い物はほとんどしなかったわけですが、でも彼女たちは押しつけがましくはなく、面白く愉快でした。

早朝、家の人より早く目が覚めて、野外のテーブルに腰かけて静かにスケッチしながら友達と話していましたら、おばあさんがやってきて、いろいろなパターンの刺繍の布を次々に見せてくれるのですが、我々静かに首を振るばかり。小さな刺繍、大きな刺繍、赤色の刺繍、黒色の刺繍、クロモン族の民族衣装、大きな刺繍のタペストリー、たくさんの銀の腕輪…背中の籠には本当にたくさんのものが入っていました。今の私くらいに見えたそのおばあさんにはとても重たかったと思います。かわいらしく、首をかしげながら、いろいろ出してくれたおばあさん。

最後に、にやり、と笑ってチラ見せしてくれたのは…手のひらサイズの袋一杯の葉っぱ!

「うひょー、ヤクが出てきた!」(おそらくマリファナです)

ここで我々大笑い。すごいものを見せてもらったお礼にお揃いの銀の腕輪を買いました。

そんな風に物売りの皆さんになじむ前、わっと取り囲まれるのは、少しばかり恐怖でした。

ある時、バスを降りた我々にわっとやってきた子供たちが口々に「日本の人でしょ」「日本から来たの?」と聞く中で、友達が突然かがんで、子供たちの目をまっすぐ見ながら一言。

「トリニダード・ドバコ」

子供たち顔を見合わせて、どこだそれは、という風情。私も一緒に、どこそれ?

「南米の国だ。この間ドキュメンタリーを見たら、インディオの人たちがうちのばあさんそっくりだった。」

なるほど、その嘘はわかるまい!と思ったのと、なんだそりゃーと思ったのと半分半分。

やるなぁ、友達。

後年、私はある学会でトリニダード・ドバコの人だ、というだけの理由でその方の発表を聞きに行きました。内容は水牛に寄生するダニの環境にやさしい駆除方法。その後、エレベーターで偶然ご一緒して、「素晴らしい発表だったね」とウキウキ話しかけてしまいました。えぇ、とってもいい方でした!

国際交流のきっかけは、どこにあるかわからないものです。もう飛行機に乗るのもしんどい年ですが、いつか行ってみたいです、トリニダード・ドバコ。

「あー、確かにばれないね、君の外見なら」

「己だって、ベトナム人と思われておったろうが」

「私、ハノイから来たお嬢さんって言われたもん」

こういってはなんですが、土地の人が、貴方のことを自分の国の人と思ってくださっているときは、間違いなく高評価を受けたときですよ。私は海外の方から現地語で話しかけられるとき、そのおずおずした笑顔が大好きです。

自慢しますが、私は飛行機の中で、韓国の方に韓国語で、中国の方には中国語で、インドネシアの方にはインドネシア語で、アジア系の方にはともかく現地語で話しかけられ、日本人には英語で挨拶されるので、しかもすべからくみな、私が日本人であることが分かるとがっかりするので(私もがっかり)、若い頃は本当にアジア諸国のどこかの国の言葉をマスターすれば、なり切れるんじゃないかと思ってました。ふふ。

学生の頃、どうしてフランス語とスペイン語を専攻したんでしょう。あんまり使う機会はないというのでそのままになってしまいましたが、今でもなんとなく失敗したなぁと思ったり。

ベトナムを旅していた頃、私は明日は今日の続きであると疑わない、とても幸せな娘でした。

ちなみにサパには、サパ銘柄の「サパ」というたばこがあるのですが、こちらはマリファナが含まれているそうな。ご注意を。(今もあるかは知らないのですけれどね)

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