羽ばたいていったのは…
皆さんもそうだと思うのですが、飛ぶ練習をしていて巣に戻れなくなったヒナを見ることがあります。
スズメ、燕、ヒヨ、それからブルージェイ(青カケス)…。
できる限りさっと親鳥の近辺に戻すのが一番確実な延命法で、それがだめでも、それでもやっぱり人は手を出さない方が良い、というのが、小さなころから度々ヒナを連れ帰って、殺してしまった経験から私が出した結論です。
「野鳥にはできるだけ手を出さず、人の手助けが明らかに必要で連れ帰ってしまった時も、1ケ月以内には野に返すべし。」
これは、私が学生を終える前には勉学と一緒に学習を終えていた一つの絶対的な自分ルールです。
ヒナはとても可愛らしいけれど、連れて帰ったらその可愛らしい生き物を不幸にしてしまう、ということ、私がヒナの立場でも、人間といるのは怖いですし、自由に勝るものはないですもの。そういう苦い学習経験を積んできました。
そんな中、ある日大学の構内で見つけた小さなブルージェイのヒナは、殺したくない、という後ろ向きな発想から鳥を連れ帰らないことにした私の決意を、生きることができるから連れ帰らない、という前向きな決意に変えてくれた子です。
印象的な出会いだったので、書いてみたく思います。
*
いつかの夏の昼下がり。
ラボの学生さんが「下のベンチに鳥のヒナがいる」と言って部屋に戻ってきたことがあります。
皆でぞろぞろ中庭におりて見つけた、羽ばたくことを覚え始めたばかりのブルージェイのヒナ。
ブルージェイはカケスです。でも色がきれいでしょう。幼いころはとても大きな鳥だと感じていたものですが、大きな鳥ではありません。米国の東海岸では珍しくもない鳥で、幼い頃、早朝に家族で連れ立って散歩しているところ、父親に「水浴びをしている青い鳥を見てごらん」と小川で何羽もキラキラ水をはじかせながら水浴びをしていた姿を見たのが、初めての出会いです。
中庭の樫の木の下のベンチに止まって、ピーピーないている姿を見て、私たちは顔を見合わせました。
「親が近くにいるよね?」
「でもこの辺、のら猫も多いよ」
などなど、いろんな相談はしましたが、そこはみな生物学の学徒たち。私たちは皆、そのヒナを気にしながらも、手を出すのは控えました。
でも私はそれから毎日、朝、晩、ヒナを見に行きました。
まだいるかな。元気かな。大丈夫かな。
いろいろ思ってもしてあげられることは何もない。見に行くことが良くないことにつながるかもしれない。そう思いながらも、見に行かずにはいられなかったのでした。
ヒナは最初の2日間は、ベンチの上、あるいはベンチにほど近い、低い木の枝の上などで見つけることができました。たくさん飛べないのですね。
でもね、3日目には、もう少し高い枝の上で見つけました。
そして4日目。
不思議に私が来るまで待っててくれたみたいにいつものベンチの上にいて、それから私と目があったとたんに高く舞い上がって、そして飛び去って行ったのでした。
そして、その後は2度と戻ってきませんでした。
「巣立ったー!!(巣じゃないですけど)」
慌てて逃げて行った、というのが真実でしょうが、会えてよかったので、そこにまだ居てくれたこと、最後にその強く羽ばたく姿を見ることができたこと、そのことに感謝しています。
もしそうじゃなかったら、やっぱり猫にやられてしまったか、わからなかったと思います。
親は遂に見ませんでした。
つまりそのヒナは、自力で4日間生き延び、ちゃんと空へ飛び立ったということです。野鳥のヒナはそう、ちゃんとたくましく、そして自由にしておくことが、やっぱり正しいことなんだ、これまでその場に置いていったヒナたちも、きっとそれ良かったんだ と、その子が羽ばたいていった姿に幼い日の風景が重なり、澄んだ朝日の光と午後のうららかな陽光が溶け込んだような、そんな気持ちになったのでした。
あれからあの子も成鳥として、仲間たちと、朝日の中を水浴びしたり、遊んだり、その美しい羽を広げて、昔の私や父にしてくれたように、通りすがる人々に安らぎをもたらしたのだと思います。
ブルージェイは、お話に出てくるブルーバードとはもちろん違う鳥ですが、私にとってはいつでも変わらず「幸運の青い鳥」です。
幼い日、父と兄弟と見た、澄んだ空気に光る水滴、そして、優しい午後の陽光と、喜びに笑っているかのように光をうける 青い羽根…。
野鳥は、見るだけで幸せです。