小さな生き物
再び僕が登場だ。
生き物との別れの日は刻刻近づき、僕と生き物との距離は刻刻縮まる。
いやぁ、なんてあったかくてなんて可愛らしいんだろう。
この小さな生き物にとって僕の顔は大きいんだろうなぁ、背も高いんだろうなぁ、いいことも悪いことも教えていないのに、なんで悪いこと(ものを倒すとか)したら逃げ出すんだろうなぁ、とか、とても不思議だ。とても興味深く観察してしまう。
生き物は家の中のいろいろなものに興味を持ち、あぁ、興味を持てるくらい元気になったんだなぁ、と思いつつも、いそいそ物を片付ける僕。
本日新しい家族のもとへ行く前の最後の病院の検診を終えて、先生から「奇跡の復活」と言ってもらったけれど、死にそうな気配は最初からなかったので、僕にとっては「徐々に回復」かもしれない。
彼には生きる力があった。それだけのことだ。だけれど、放置したら絶対に死んでいた生き物を助けた、というので、それなりに僕も誇らしい。
僕は野生動物は普段は拾わない。
子供のころは拾ったものだけれど、大体別れがつらくなり、明日にしよう、明後日にしようと、お別れの日を先延ばしするうちに、せっかく元気にした生き物が弱り死んでしまったり、事故があったりしたからだ。野生動物には果てしなく眼前に広がる世界と自由が必要なんだ。僕だって必要だもの。
今回の生き物は、1日遅ければ死んでいた、ということで、僕は拾って本当に良かったと思う。
生き物の愛情表現を毎日たくさんもらいながら、その温かさを感じていると、この出会いに胸がいっぱいになる。
彼の健康はまだ万全ではないので、今よりもっと健康にして送り出してやりたい。
生き物は人の顔を覚えないことで有名なので、多分この生き物には人間が好きだ、という気持ちが残ってくれるんだろう。僕よりきちんと世話をしてくれる人が引き取ってくれるというので、それだけで十分安心だが、今の関係が生き物の「今後」に少しでも貢献してくれたらいいな、と思うのは僕のわがままだろうか。忘れてくれるというので、僕は楽しく甘やかし中だ。
普段静かな僕の家で、何をやっているのか家の中で不穏な物音を立てまくり、僕もやがて「あぁ元気になって良かった」と言えなくなる日が来そうである。
その日を迎える前に彼は立ち去っていくのだけれど。
うん、引き取り手には感謝してもしきれない。
願わくば彼と彼の新しい家族が、これから長い年月を使って素晴らしい愛の歌を紡ぎ続けていきますように。