夏を笑う

晴れの日も雨の日も、身体のずっと奥から吹いてくる風がある。

その風の中には、自分が見てきた美しいものが満ちている。

どこまでも自由に感じた、乾いた風。土砂降りなのに、あの日の日差しがまぶしい。あの日の暑さを感じる。

どこまでも深々(シンシン)と落ち着いた、湿った風。現実の痛いほどの日差しの中に、水の音、土の匂い、けぶるような森の香り。

誰もいなかった日、あなたとたくさん笑った日、いつでも風が吹いていた。

俳句には「山笑う」という言葉ある。とても福福しい言葉だと思う。

悠久の時を泰然とそこに在った山からあふれる笑いは、緑深まり、生き物が活発な夏の季語。

内から風が沸き上がるとき、老人になった私の時間に、幼い日の時間や若い日の時間が、並立して現れる。

子供の頃には思いもかけなかった色々な経験をした。

辛いことも悲しいこともあった。

望まぬことの方が多かった気もするのに、ただ一つの道を、歩いてきたように思う。

だって、通りすぎれば、そこにあった曲がり角はもう見えない。振り返れば見えるのはただ後ろに伸びている精一杯に頑張ったいっぽんの道だけ。

だいたいですけど、まっすぐ伸びているように見えるんです。

不思議でしょう?

足腰は弱くなってどこにも行けなくなっても、心の奥のその道の向こうから吹いてくる。歩いた場所がどこにでも浮かび上がって、一地点にいる私世界が、ただ広がっていくような風が吹いてくる。

世界は常にここ在り、あなたも常にここにいる。そして私がどこにでもいるような気がする。

そういう時、私は笑います。

1人で静かに笑います。

世界がとても美しく見えるから。自分がとても誇らしく思えるから。

それは私の夏の日。

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