科学的根拠

「科学的根拠に従い…」というのは、科学的根拠がないよりはずっと素晴らしい。

科学的根拠、裏付けをとるための努力も評価します。高く評価しています。

また、環境に及ぼす悪影響を懸念する心があることも了解しました。

しかし、考えてください。

科学的根拠と推論が常に正しければ、今直面している環境問題はあったでしょうか。地球温暖化はあったでしょうか、オゾン層の破壊はあったでしょうか?宇宙デブリの問題はあったでしょうか?海の界面活性剤の問題はあったでしょうか?プラスチック製剤の汚染問題はあったでしょうか?

・・・放射能汚染の問題はあったでしょうか?

空飛ぶことを夢見て飛行機を生み出した技術が、星々を愛した子供たちが大人になって、宇宙を夢見て開発した力は、戦争で何万の人を、動物を、命を燃やし尽くさなかったでしょうか。弾道ミサイル技術に応用されなかったでしょうか。

最初は、「素敵な夢」で、、、みんな応援したこと。それを、汚さなかった「文明」がいくつほどあるでしょうか。

科学的根拠?

はい、常にとってください。

でも決して、そこに胡坐をかかないでください。

例えば、汚染水を海洋に放出しないといけない現状に直面しているというのは日本側の理由で、批判があるときは、その言葉に対する謙虚な気持ちを決して忘れないでください。

今のところ人類は科学と文明を捨てずにこの地球と生きていくつもりのようです。それなら、謙虚さだけは忘れていけないと思うのです。

ヒトの体は、食べたものでできています。農学者はずっとずっと言い続けてきました。農民や漁民はずっと知っていました。

1週間もあればあなたの体の細胞はすべて入れ替わっていると思っていて間違いない、といったのは、生化学者です。科学的根拠に基づき、実証までされています。

脳科学者の養老孟子さんが素敵な言葉で表現していました。

ヒトの体は食べたものでできている、ということは、「自己」は海であり、水であり、大地である。アイデンティティという言葉がありますが、あなたという存在の自己は高く、大きく、どこまでも広がっている世界そのものなのだと。

広がり、混ざり合う世界の中で、自身を汚すものに対して、地球が、世界が、どのように反応を返していくのか。

それを、私自身に染みのように広がらせたまま、死を迎えるのか。そして、あなたの、私の子供たちに遺すのか。

科学が実証してきたものは多くあります。しかし間違えたことも多くあります。

ゆえに、その上に慢心して得られるものはないことは、歴史がつまびらかにしていることです。否定できないことです。

強大な脳を発達させた私たちは、常に自律の心を忘れずに、生きていかなければならない世界の因子なのです。

できるだけ多くの方に「修身」という言葉について、思い返してほしい今日この頃です。

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