長距離移動の心得

車窓から見た南アフリカ ダーバン郊外

長距離移動の手段といえば、陸上ではやはり車か列車でしょう。

車というのは便利な乗り物だと思うのですが、すぐ酔うので苦手です。

大きくなれば酔わなくなるよ、と慰めてもらったこともありますが、幼少から中年を経て後期高齢者になっても酔いますので、人より三半規管が弱いのでしょう。

昔、家に招いて下さったり、快く車に乗せてくれてあちらこちら連れて行ってくれるご夫婦と知りあいでしたが、その方の車に乗ると15分ほど経過すると吐き気がしだして、3時間の観光は車内ではニコニコお話ししつつも、おなかからせりあがるものと戦いつつ、口元を開けないけど開かざるを得ないあの辛い心境といったら!どんなに良い方々だと思っても、最終的には足が遠のいてしまったこともありました。車の運転は交友関係さえにも影響してしまう、非常にデリケートなものだと思います。(ご無沙汰してごめんなさい)

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しかし、そんな私にも来る日も来る日も朝から晩まで車の中でひと月を過ごしたことがあります。

子供の頃、家族でアメリカを横断したときです。

アメリカは壮大な国です。あの頃、町と街の間には本当に何にもなくて、事故にあっても歩いてどこかに行きつけることなんて1%もなさそうな、乾燥した広大な草原や荒れ地の中を延々に続くハイウェイで居住地がつながれた、そんな国でした。

道路は電灯くらいあったのでしょうけど、日が暮れて真っ暗な道を、車のヘッドライトを頼りに走り続けて、一日走って、町が見えだすと、電灯の明かりが見えて、やれケンタッキーだ、やれモーテルだ、と大騒ぎでした。車には食料がたくさん積んであって、すれ違う車もない道路だけは立派な荒れ地中で家族でピクニックをよくしたものです。

東から西へ、自然もそれなりに変わるんでしょうか。その旅で、退屈だったことはないように思います。

延々と続く山々を見て、動物を見ることもあまりなくて、一つの町から次の町に着くまでの間、何台のトラクターとすれ違うか賭けたりして(勝つと父がソフトクリームを買ってくれて、負けると買ってくれないというゲーム。戦利品のドラッグストアの1$のソフトクリームは、私の顔と同じサイズで、それは大きかった…)、英語の歌を習ったり、窓の外を眺めたり、兄弟と喧嘩したり(したことは覚えていませんが恐らく)、非常に満ち足りた思い出です。

その後、一人旅ができるようになって、オーストラリアをアデレードからパースまで、グレートサウザンレールウェイで旅した時も、そんな感じ。まぁ、こちらは汽車で車酔いの心配はなかったこともあり、何を血迷ったか、「ヒトの分子遺伝学」というやたら大きな専門書を抱えて、じっとしているときにはそれを読みながら、汽車のラウンジで、時々人と話しながら、ひたすら続くナラボー平原を、2泊3日眺めていました。不思議に退屈だったという記憶がありません。

退屈だった時もあったのかしら。

行きと帰りと、同じような環境なのですが、となり座る人などで快適さは変わりましたし、限られた数の無料で使えるバスタオルを狙って競争したり、数個しかないシャワーの石鹸があるうちにシャワーに入るために奔走したり、地味に忙しかったですね。車内にはラウンド(オーストラリア一周)中のワーホリの日本人がたくさんおり、しかも街から激しく離れた電車の中で、何か盗まれても泥棒は逃げ場がないという地理的利点に加え、貧乏学生にして持ち物もないという特権もあり、不安は一つもない長距離列車。

乗り物の中から、同じような、でも決して同じでない風景が延々続くかと思いきや、エミューの親子が一瞬現れたり、草をはむカンガルーがいたり。

長い長い乗り物移動の時を思い出すと、まるでよく晴れた日の夕暮れに、いっぱいのコーヒーをお供に、お日様の下でのんびりくつろぐような、そんな気持ちでいっぱいになるのです。

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長距離移動の心得は、安心できる旅の道連れと心得ます。

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