踊り歌った

この年になりますと、若い頃の生活そのものを、まるで踊り歌って過ぎていった時間のように感じるものです。

それなのにそれなのに、知り合いの当時20歳をいくつか過ぎたお嬢さんが、言いました。

踊り歌った時からこぼれた
透き通った光の欠片を
この手に取り戻したい

奏でてきたのは不協和音ばかり
でもその中に少しでも美しい旋律が潜むことがあるというのなら
それだけをあなたに捧げましょう
幻の友人 姿なき焦燥

行くべき道が見つからない子供も
立っている台地が分からない混乱も
手を引いてくれる幻のあなたがいれば
飛ぶ鳥の自由になる

私は待っている
私は待っている
君の、君たちの訪れを

若さがあるから歌える歌だと思いました。

老いた私には、彼女が不協和音というその旋律がすでに美しく、若い頃は私にもそうやって奏でた音があったのだろうか、とそっと思い、こぼれ落ちた光の欠片はこぼれたままでいいような気もするのです。

幻の友人は、未来という時間になって、望まなくてもやってきて、望んでもやってこなくて…

若者に「時」は優しく、若者にはその時を無駄遣いする権利があるのです。

無駄なものなど何もないから。

後悔という苦い酒も、自己満足という甘い酒も、人生という杯を満たすときは、あなただけの香りを放つ

なるようにしかならないけれど、どうでもいいのとは違う

でもどうでもいいと思うときはあっていいはず

人生が貴方にくれた特権だから

*

生きている限り、私もまだまだ踊り歌っているようだわ、と嘆息した月明りの冴えた冬の晩の物思い

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