トロムソ博物館で出会った科学

テルラという装置をご存じでしょうか。

ビルケランド博士(Dr. Kristian Birkeland)というノルウェーの科学者が作った人工のオーロラ発生器です。今からだいたい150年前のことです。今でもノルウェーのトロムソという町の、中心部から歩いていける距離にある、トロムソ博物館という博物館で、現物を見ることが可能です。世界初の発明で、今でも世界で唯一の展示だそうです。

3月のトロムソ博物館

北国を旅して、オーロラを初めてみた日に、その北国の方が教えてくれました。

ノルウェーにはオーロラに取りつかれた人がたくさんいてね、気象学の発達、宇宙嵐、太陽風、我らがこの分野で果たした役割は大きいのさ。

とても誇らしげに。

科学者は、研究に研究を重ねて、小さな発見を積み重ねながら新しい疑問を次々に拾っていく。

研究者だった頃は、ノーベル賞を受賞した人などに対するインタビューで、「私なんてね、まだまだ何にも分かっていないんですよ」とほほ笑む科学者に、取材者が謙虚だ、ということが不思議でした。でも会社員になったときに「この分野を僕は知り尽くしている」「僕の知らないことはない」「経験も誰より豊富だ」(だから黙りなさい、ですね)といった言葉を頻繁に耳にして、素直に驚いていた頃があります。研究者であれば、むしろ自身の研究に対して真摯でないと受け取られる言葉だったからです。なるほど、これが社会なら、何十年も一つのことに自分を捧げて、そのことについて何も知らないと笑うノーベル賞受賞者の発言は確かに謙虚です。とはいえ、企業という社会では、例えば実際に、自身がそう思っていなくても、そのように語りふるまうことが、社会の中で、人が人を支配するために、あるいは階級の維持形成に必要なのでしょう。これもまた一つの社会の側面です。

私はもう科学者という職業にはありませんが、科学に対する批判を耳にするたびに思うことがあります。

世界の原理ではない、物質の驚異ではない、その知識を利用する人間の、利用の仕方が未熟なのだと。

科学は神様と対比するようなものではないと思います。科学は、なるほど力あるものですし、利用者によっては恐ろしくさえなるものですが、実際には、世界の事象を少し詳しく見ているだけだと思うからです。

行為者は人間ですので、生き方や正義について考えた時、知識が生んだ苦しみには確かに果てがありません。動物実験の是非を問えば、爆弾を開発した是非を問えば、その原罪に慄くことは普通です。でも最初にそのことを調べようと思った人が、残酷な心で研究を調べはじめた、という話を私は聞いたことがありません。それに科学ですべてが解き明かされる、と夢見るまではいいとしても、本気で心配する人たちに会うと少し面食らうときもあります。人類は万能じゃないですよ、と諭したくなってしまって…。

宗教の議論と科学議論は、科学者の中でも同じ机上に乗せる人がいました。「私は神様は信じない、でも科学を信じている」

知恵の実を食べたことを悔いる神話が創世記にあるとしても、世界への好奇心はその世界への愛がないと生まれないから、好奇心を罰するのは人であって神ではないと私は思います。

民俗学は科学でしょうか、宗教学は科学でしょうか、みんな科学です。神話もまた科学です。世界の神話を集めたら、法、権力、自然への畏怖、未知のものへのあこがれといった人類の共通性、古代の自然、いろいろなものが見えてくるではありませんか。

テルラを見ながら、そしてその前日に見たオーロラを想いながら、人類の果てしない羽ばたきの音を聞いたような気がしました。

この人と、この人を愛した人たちは、きっと毎晩を夜空を見上げていたのだろう、きっと毎朝、その日の空気と光に粒子を感じ、物質を体中で感じていたんだろう。

天体の一つで暮らしていると、毎日感じながら暮らすってどんな気持ちでしょうか。

人類は幸せです。言語を持ち、その言語に潜む美しさを知っている。私たちはこの知識を、この気持ちを、共有するための言語を持っている。

もしあなたの暮らす国が教育にかける予算を一番に削るような国なら、あなた自身の手で、子供たちに授けられる知識はすべて授けるよう心掛けてください。見たもの、聞いたもの、触れたもの、そのすべてが知識です。

果てしない光の場所へと続く、貴方だけが知る道です。

樹々のように、動物のように、昆虫のように、ただ素直に世界を感じながら生きるのも、もちろん素敵。

日常にある小さな出来事だって、私たちがすべてを知ることは不可能だもの。

経済学者によると、遠くで起きた小さな出来事が、思いがけず大きな波になることは、日常生活でも普通なんだそうです。

分からないことが多くても、見えないことが多くても、教育が救うことができるものは、誰が想像するよりも、きっと深く重く崇高なものだと思います。

すべてが科学で証明されるわけない。分からないことがあったっていい。研究を止める必要は全くない。謎は尽きることがない。

その営みは果てしなく、眼前に広がる世界に終わりはない

*

*

余談ですが貴方の旅の一つの目安に。オーロラは、太陽風の関係で10年周期で、非常に強く現れます。次のハイライトは2025年(前後)です。

そんな私は、周期的にはオーロラが一番弱い頃に北国を旅していましたが、ちゃんと見ましたし、やっぱりとてもきれいでした。

トロムソ博物館で出会った科学” に対して2件のコメントがあります。

  1. イチヨン より:

    すばらしい考察ですね。
    私もまったく同感です。
    人類の果てしない羽ばたき、好奇心。。。

    1. trobairitz より:

      イチヨン様、ありがとうございます。
      同じように思ってくださる方がいるのも嬉しいです。
      イチヨン様の見果てることがない世界、私の見果てることのない世界、きっとどこかでつながっています。

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