海外旅行保険
昨日無駄になった海外旅行保険の話をしたので、いやいや、ちゃんと大事です、という話をしようかと思いました。
憧れの南米、ボリビアにウユニ湖を見行ったときのことです。
日本から乗り継ぐとはいえ、ボリビアのラパスまで関空からおよそ36時間。南米は生物学に従事する者にとっては憧れの地ではありますが、ともかく日本からは遠くて、飛行機代も極めて高い。スペイン語とポルトガル語で言語には自信なし、というわけで、久しぶりに空高く跳んだ気になった個人旅行でした。
天空都市ラパスに到着した私は、心もウキウキ。
サイド情報ですが、旅のお供は地球の歩き方。初めて一人旅をした時に、手に入る限りのガイドブックを調べて、交通案内が一番正確だったのが地球の歩き方です。格安ホテルは、ネットとユースホステルで何とかなりますが、言葉の通じない国で、移動に失敗したら話になりません。以降、私のベストガイドブックは地球の歩き方です。天空都市ラパスはともかく標高が高い(3500m、富士山なみ)ので、酸素が少ない。初日の活動は控えめに、というアドバイスを読んで、ひとまずその日は午前中だけの行動、と決めました。
朝市に寄ったり(行列のお店でエンパナーダを買ったら、中から美味なスープがたっぷり出てきてびっくり)、火が通っているに違いないと思えた生ぬるい甘い飲み物を飲んだり(これも行列。美味でした)、市でみる農産物は珍しく、そして美しく、ぶらぶらしました。
朝一番に、いかにも本物そうな厳ついピストルを下げたポリスという言葉がぴったりの制服の男女とすれ違った後、上品でちょっとかわいい、でもあんまり高くはなそうな緑の背広を着た自称ポリスに出会ったりもしました。
「パスポート出してごらん」割と愛想よくおじさん。「持ってない。ホテルにある(リュックにありました)」やっぱり愛想よく私。しばらくおしゃべり。
「書類見せて(ツアー資料を見せました)。あぁ、日本人。あ、ちょっと待ってて」そこで自称ポリスおじさん、突然そばにいた奥さんに同じくパスポートの提示を求める。「持ってないわ(女性)」
「君たち、私の車で一緒に署に行こう(私と女性に)」名案という感じにおじさん。ホテルにパスポート取りに行くよ。一緒に歩いていこうよ、近いよ」(知らない人の車には乗りません!)
私とおじさん押し問答。「取り行くっていうのに、なんで。逃げると思うなら、ホテルまで一緒に来ればいいじゃない。車は嫌だ。ホテル、遠くないよ(私)」困った顔のおじさん。
ぶーたれて女性と座る私。自称ポリスおじさん、ひとまず車を取りに姿を消します。
「行くの?(女性に聞く私)」「行くわよ(女性)」「怪しいよ、やめなよ、朝、お巡りさん見たけど、全然服装が違ったよ!あそこに観光案内所があったから、私聞きに行ってくる!(私)」
というわけで、おじさんがいない間に、困った顔の奥さんを残して観光案内所に行き、「良かったねー、ついて行かなくて」と褒められました。うーむぅ。なかなかの珍道中。あとから考えれば、困った顔した奥さんは自称ポリスおじさんの、多分仲間。
一聞悪い人に出会ったように感じるかもしれませんが、大きな声も出さず、辛抱強く、無理は言わずに、頑固に首振る私を困ったように見たくらいで、最後は奥さんに手を振って観光案内所に行けた、という事実に、ラパスの治安の良さを感じます。
話がずれました。
えぇと、そう、海外旅行保険でした。その晩からです、意味不明の頭痛と嘔吐が突然始まったのは。
おかしいな、午後はずっと静かに過ごしたのに…。
とはいえ、旅は始まったばかり。翌日は憧れのウユニへ向けての移動です。まだ動けた私は元気に出発。嘔吐が止まりません。数分おきにトイレで吐く感じで、車移動の時はビニール袋が大活躍。空港では待合室でトイレと座席を行ったり来たり。その頃にはもうぐったりでした。同じウユニ目指して観光に来ていた人たちの中には日本人もいましたが、げろげろ吐いている女というのは遠巻きにされるのです。その中に一人だけ、とっても心配してくれて、そばに座ってコカインキャンデー(高山病に聞くそうです)や、高山病用対策のご自身の「飲む酸素」をくれたり、とてもやさしく介抱してくれた方がいました。新潟の方です。ずっと忘れません。ありがとうございました。交流はあんまりありませんが、連絡先入手。一方的な好意をいっぱい持って、きっといつか会いに行きます。
何がびっくりしたって、その頃はさすがに胃は空っぽでしょう。私がげろげろと威勢よく(失礼)吐いていたのは、胃液でさえない大量の緑の液体でした。自分でもドン引き。
というわけで、ウユニについた時には、歩けはするものの意識もうろう。まず空港で待っててくれたツアーの人が酸素ボンベで酸素を供給してくれました。まったく変化なし。
憧れのウユニは「あそこには古代のミイラがあるのよ」へらっとわらって(ふーん)
「あの山昇ってみたい?ラマがいるよ。珍しいサボテンもあるの」ヘラっと笑って(いやいや。座ってるー)
と完全に車に運ばれただけの旅となりました。現地のツアー会社のお嬢さんが、薬屋で薬を買うのに並んでくれたり(なぜかアスピリンでした)、それはもう現地の人は心配してくれて優しくしてくれて、ホテルの人にもツアーの人にも感謝に耐えません。ありがとうございました。
本人は、運ばれていないときは、ウユニは多少標高が低くて多少元気がある時もあって、アルパカの織物を見たりして。100円でアルパカ人形を買わなかったことを、密かに今でも後悔しています。手のひらサイズで可愛かったんですよ。
あんまり満喫できなかった気もしますけど、やっぱり行ってよかったなぁ、と思います。
しかし、酸素ボンベで、通常対応の3倍くらい酸素を与えてもらっても元気にならなかったので、自分でもいろいろ怪しみ、途中で心折れて、高いけど国際電話で海外旅行保険のヘルプディスクに電話を掛けたことがありました。
症状を説明する私の声が、死人の一歩手前です、と訴えていたせいか、ヘルプディスクのお姉さんは同情的でしたが、「ともかく自力で病院を探せ」と、言われ「そうなんですね、ヘルプディスクって助けてくれるわけじゃないんですね(悲痛)」と大変失礼な物言いで電話を切ってしまいました。その時は結構本当にがっかりしていたのでご容赦ください。ごめんなさい。
結局どうなったかというと、帰国のためにラパスに戻ったとき、空港に迎えに来てくれていたホテルの人が、出てきた私を見てホテルドクターを呼んでくれ、やってきたイケイケのホテルドクターが、ガッツリ儲けるぜ~と病院に担ぎ込んでくれました。「保険あるだよね、大きい病院行こうね!(でもどうも診断のお金はすべてこの人のところに入った模様)」
病院で、点滴を受けて、酸素をもらって5時間後、私はかなり元気になり、良くしてくれたホテルの部屋をぐちゃぐちゃにしてともかくお風呂に入り、荷造りをし、翌朝の飛行機に乗って、予定通り帰国できたのでした。こちらも、今でもお礼とお詫びがしたい案件…。
ラパスの病院の先生も看護婦さんも、非常に知的で優しくて、病院マジックで安心し、ベットに寝かされた時点でだいぶん元気になりました。密かに原因不明と思っていたのですが、その後、乗り換えたアメリカのダラスで、自分でもびっくりなくらい力に満ち溢れて、酸素ってすごい!低地ってすごい!と感嘆したのを覚えています。はい、病名は高山病です。
ちなみにホテルドクターには、非常に強力な下剤を処方されました。まったく…。
帰国してから、イケイケノリノリ病院に私を置いて料金の請求まで顔を出さなかったホテルドクターが教えてくれた通りに、海外旅行保険の会社に電話したところ、なんとびっくり、私が絶望に駆られて捨て台詞を言って電話を切ってしまったお姉さんがまた電話を取ってくれました。お姉さん覚えていて、心配してくれていたみたいです。それは優しく、てきぱきと旅行保険の支払いをしてくれました。
そのお姉さんの、つらかったですね、と思いやりにあふれた声と対応に、あぁやっぱり海外旅行保険に入っていて良かった、と心から思いました。
その後、緑の液体が心配になって、日本の病院にも行きましたが、こちらの料金も払ってくれました。
(日本の内科医)「緑の液体を吐いた?あぁ、心配することないです。胆汁が緑色なんです。酔っ払いとかが時々吐きます」
あぁ、そうか、私はよっぱらーの仲間入りしてたのか。。。
旅行保険利用、南米総計8万円(病院治療代付き)、日本の診断料800円の思い出です。