(雑文)源氏物語を好きな男性

川端康成氏が、源氏物語を好きだったと聞いて、つらつらと思い出したことがあります。

ちょっと休憩

日本文化を継承した紳士、ドナルド・キーン氏もやはり源氏物語が好きでした。

しかし、近年源氏物語を現代語訳して、一世を風靡した田辺聖子氏がエッセイで語るところによると、世の男性の多くは、源氏物語を馬鹿にしなくても(世界最古の小説であり、日本を代表する文学作品)、それを賛美するということはあまりないということです。

「あぁ、歴史を学べる良い本ですね」とか「まぁ、読みました」という感想が大半なのだそうです。

日本に生まれたからには、我々は義務教育の時分に「いずれの御時にか…」という冒頭部を暗唱させられている方が大半かと思います。実をいうと、少女だった頃、風が吹けばそれを憐れと泣く男性、というものの美は、私にとって非常に分かりづらいものでした。「帝の息子に生まれて、責任重い役職に就くことがなかったけれど身分の高いことをかさに、女性を遊び歩いた皇子の話」と身もふたもなく解釈していました。(実際は、大政大臣なども務め、時の帝の名乗り合わぬ兄弟として、どうしてなかなか、かなりの責任も果たしています)

今思えば、ちゃんと読みもせずに、説明されたあらすじと授業で読む一部分だけをもとに判断した、浅はかで恥ずかしい判断でした。

けれど幸い、30も後半になったころ、源氏物語を読み返す機会がありました。

そして、びっくり、面白かったのです。面白いといういい方は正しくないかもしれません。少女の頃、軟弱に思えた光源氏という男性が、果て無く母を慕い求める一人の人間で、人に対して意地悪なところは一切なく、しかも必要な時には困難に立ち向かって生きている人、そして思慕から心の弱さを持つごく普通の人として、すんなり受け入れられたのです。物語に出てくる人の、人間らしいこと、愛情深いことを知り、この物語を本当に心から美しいと思えたことは、自身の少女時代の感想を覚えている私には、少し驚き、そしてほっとしたことです。

1000年前から存在していた物語は、きっと日本の歴史で学ぶ、いかつい多くの時代の寵児たちもまた読んだ物語に違いなく、もしタイムマシーンがあったら、彼らと持ちうる共通の話題にもなるわけです。なんとすごいことでしょう!(明らかな余談ですけど、竹取物語も然り)

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田辺聖子氏によると、源氏物語は、錦の大蛇なのだそうです。

その蛇が、平和という素晴らしい大蛇であると、語っておられます。

季節の移ろいに心動かし、自身の周りの人々や命あるもの、命なきものにも、もののあはれをみる目線は、とても慈しみに満ちた視線です。それは日々の生活の一瞬のきらめきによって織られる錦です。平和であればあるほど、単調で、長く、そして美しく織りあがる錦模様…。

いくらきれいでも、錦模様だけが延々と続くのは飽き飽きしますか?

そうなのです、山の木々の緑について、もてなしを受けた際に活けてあった花について、そうしたものの美しさについて、文字を惜しまず書いてあるのが源氏物語です。ねぇ、でもその通りだと思いませんか。いずれにしろ、風が吹いて葉が散ったと泣く人も、浜辺で吹く風に懐かしい面影を投影して泣く人も、(いくら光源氏自身はそれなりに政略にも長けていたように描かれてはいても、)軍国主義ではないのです。企業戦士にもなれぬし、政治家にも向かぬでしょう。

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川端氏はジブリの宮崎駿氏が愛した書物の書き手のほとんどと交流があります。堀辰雄氏や室生犀星氏、芥川龍之介、三島由紀夫、菊池寛、志賀直哉など、思いつく限りの日本文学の祖と言われる人々交流があったように思います。私もまた、かろうじて大戦を経験した世代ではありますが、この人たちが、みな、あの時代を生きていた、ということを知識としても知っていても、人間の交流として感じたことがありませんでした。

彼らは皆、世界大戦を生き残り、いえ、全員が生き残ったわけではないですが(戦争ではなく自殺や病気もあり)、そしてこの文筆家たちは、この大戦の後まもなくにすでに外国訪問も行っていた人たちでもあります。その頃、ヨーロッパに行くのに飛行機で片道50時間かかりました。

そうか、川端氏は源氏物語が好きだったのか、ということは、私の心を温かい気持ちで満たす発見でした。

私はこのブログで、新年に「美しい日本の私」について触れています。

ご存知かもしれませんが、川端氏は、戦後間もない頃に「私はもう日本の哀しさしか書かぬ」と言い残しておられますね。哀しさというのは、美しさのことです。

氏にとっては「美しい」を表すのに適切な表現は、「哀しい」であるということです。

戦後間もないときに、「もう日本の哀しさ(美しさ)についてしか書かぬ」といった氏の、ノーベル賞受賞後の初めての評論が「美しい日本の私」であったこと、大江健三郎氏の「あいまいな日本の私」とタイトルだけを比較して、戦後の日本の文化の低下を表すなどといったようなことを書いている論評を読んだことがありますが、そのような比較を正しいとは思えません。

川端氏の「美しい日本の私」というタイトルの「美しい」という言葉にも大江氏の「あいまいな」という言葉にも、むしろ共通の心根を感じます。

凄味を感じます。

祈りを感じます。

氏の人柄について学ぶ機会が増えるにつけ、そこに深い哀しさを見る気がします。

1968年、戦後23年。川端康成氏、ノーベル文学賞受賞。

日本人として、世界に頭を垂れる人選であったと思います。

田辺聖子氏のご高察どおり、源氏物語を愛する男性は、日常という名の、ただ季節が移ろうだけの日々を、尊いと抱きしめることができる人だと、今、私は心から信じています。

いえね、まぁ、偏見と思い込みの一歩手前かもしれないのですけど。。。

でもやっぱり、真実の一つであると思うのです。

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