ナイアガラの滝と河合隼雄氏

2歳の時にナイアガラの滝を視ました。

当時から滝つぼツアーというのがあっていて、私はその船には乗っていませんでしたが、エンジンが切れたら真っ逆さまという川の淵ぎりぎりまで船で行く、というツアーです。

ちょろちょろしたちびっ子を複数抱えていくとしたら、親御さんはハラハラ、ツアーを楽しむどころではないでしょう。ああいうのって、大人にはスリリングですが、子供は怖いと感じないことも多いですからね。

しっかり覚えているわけではないですが、私たち一家は、歩いていける見晴らし台の上から、その滝を見下ろすように眺めていました。見晴らし台は、滝からかなり高いところにあるのですが、不思議に水しぶきがすごかったのを覚えているような気がします。

「どうしよう、船があるよ、落ちちゃうよ!」

滝を見た時よりも、はるか下方で小さな船が滝つぼの方へ向かうのを見た時の恐怖を覚えているのだから不思議です。

「そうそう、そのまま真っ逆さま。落ちるんだよ」といったのは父で、それを聞いた時の恐怖感。私はその船がどうなったのか、かなり分別が付く年頃になるまでずっと気をもんでいたのでした。

オーストラリアの海岸

我が家にはそういう話がいくつかあって、例えば、「オーストラリアはクリスマスが夏だから、サンタさんはサーフィンで来るの、そりはないの。でもトナカイのために人参は用意しておくんだよ」と父が初めて子供に言ったとき、子供たちは最初誰も信じませんでした。トナカイはサーフィンするサンタの横を走るとでもいうのでしょうか。プレゼントを乗せる場所もないじゃないですか。子供ながらに自分が見てきたものの存在に自信があったのですね。

ところが、思い立って第3者に「オーストラリアってクリスマスが夏なの?」という質問をすると、周りの人が全員南半球について語って、その通りだというでしょう。そうすると、父の話ってがぜん信憑性が出ますよね。そして、父がサンタがサーフィンで来るという話を、繰り返したとします。3回目あたりから、これは子供たちにとって真実に変わり、「オーストラリアでサンタはどうやってくるか知ってる?」という質問に「知ってるよ!サーフィンで来るんだよ!」という返事に変わるのです。

そして大人は、自分がこういうふうに子供にある固定概念を植え付けたことを忘れるので、ある時「サーフィンと人参?なんのこと?」と言ったりします。

面白がって子供に固定概念を植え付けるところまではやってみるユーモアあふれる大人たちって結構いて、それはそれで子育ての醍醐味、心にゆとりあるご両親とは思いますが、2歳児が6歳になったとき、6歳児が小学生高学年なったときなどに、思わぬ不信感を生むことがあるので、そういう実験は本当の話でやった方が良いですよ。

一時期、河合隼雄さんの本をたくさん読んでいたのですが、その中に、全く同じ話があって、びっくりしたものです。私にとっても、親への小さな不信感が、そうだったのか、しょうがない親だなぁ、というのに変わったので、心に残っており、お会いしたことのない著者にはなんとなく尊敬の気持ちを抱いています。

親のついた小さな嘘にはまったく意味はないため、一層、子供心に「なんであんなこと言ったんだろう」というのは、気にかかることもあるものです。生活にゆとりができて、子育てを楽しめるようになった頃の全くしょうがない話ですけど、心理学者がそういうことを書いている、ということを知って、心理学というものを面白く思いました。

残酷なグリム童話、などが巷で流行ったりもしましたが、子供にはおとぎ話は決して残酷ではないのです。

まだ世界が真っ白だから。自分の首を抱えて歩いている人がいたら、自分も首が取れたら首を抱えて歩くんだろう、と思うだけだから。そしておとぎ話って、そういうまっさらな子供たちに間違いなく、不思議で面白くて、ちょっと悲しくてハラハラドキドキする世界を、大きく広げてくれるお話ばかりです。民間伝承、文化の中で受け継がれたものってすごいですね。

子供がどのように世界を広げているのか、というのは実に興味深いです。

ちなみに、以前オーストラリアを旅したときに確認しましたが、オーストラリアでサンタがサーフィンに乗ってやってくる、という話は遂に聞きませんでした。

また、2歳に時に見たきりのナイアガラの滝ですが、ドキュメンタリーで見る限り、あの小さな観光船滝つぼツアーは、連綿と受け継がれているようです。

兄の黄色いレインコート、顔に飛んだ水しぶき。覚えているのは断片的な風景です。いつかまた行ってみたいなぁ、と思います。

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