ペタンクの思い出

後ろは町内のおじさんたちのペタンクグループ

フランスには、ペタンクという遊びがあります。

ボールを使ってする遊びです。全然体力も使わないし、みんなビール瓶片手にピクニックバスケットなども準備して、むしろおしゃべりを楽しむことがメインみたいなスポーツです。

若い頃の研究滞在では、週末も一緒に遊びに行く仲間ができましたが、年取ってからは周りは自分より若い子たちばかり、自分世代は週末は家族や友人との予定でいっぱいで、短気滞在の客員研究者の時間はない方々ばかりだった私を気にしてくれた研究所の博士課程やポスドクの若手の皆が、アフターファイブのイベントとして時々企画して誘ってくれた遊びです。

フランスでは、仕事の合間に結構おしゃべりもしたし、若いときも年取ったときも寂しいということはない研究滞在が多かったですが、やっぱりそういう遊びを一緒にすると楽しいし、誘ってもらうと嬉しいもの。

特に男兄弟と育って、その後遠方の女学校に通った私は、体力に劣るようになってからは、父がいて皆でキャッチボールとかいうとき以外は、一緒にスポーツしてもらうことはほとんどなく、兄や弟の友達は優しかったですけど、仲間になって対等に遊ぶというわけにはいかず、女学校の友達はお嬢さんばかりで外遊びという観念がなかったこともあり、久方ぶりに男女が対等に遊べる外遊び、ということで、とても新鮮でした。

日本のお年寄りのゲートボールみたいな印象もあるのですけれど、子供も大人も老人も一緒にできる遊びで、世代に関わらず楽しめる遊びというところが違います。

野外ということですがすがしいし、そういう気持ちが、それだけで純粋に嬉しいでしょう。

研究の話以外にも文化の話とか観光地情報とか家族の話とか友達の話とか、自分の人生観とかも話して、なんというか、童心に還って非常に楽しかったことを覚えています。

帰国した後でその研究所を訪問したとき、やっぱりペタンクを開催してくれて、見るからにスポーツができない、その割に外遊びが好きな私という人間をみて、選んでくれたスポーツであったのかなと、しみじみ思ったものでした。喜んでいた私を覚えていてくれたのでしょう。

私にとってペタンクは、短い間だったのにとても優しくしてくれた仲間の、のんびりした笑顔とおしゃべりと結びついた、とてもほんわかしたスポーツになりました。

実はしばらく前、京都の鴨川の河原で誰かがペタンクをしていてびっくりしました。どんな人たちがしているかは遠目で見えなかったですが、とても懐かしかったです。

フランス滞在で一番素晴らしかったことは、それがお年寄りであろうとも、外国人であろうとも、誰かがのけ者にならないよう、どの子もそれなりの気配りをしてくれたことだったと思います。誘うことも誘ってもらうことも多かったです。お食事会もピクニックも声をかけてくれた人たち。

あの頃の研究所の子たちも、学位を取ってから、研究者としても個人としてもいろいろなことがあったことを風の便りに聞いています。長い間会っていないし、会いたいね、といっても今更会うのは難しそうだし、どうしているのか分からない子たちもいます。

でもあの時代、ごく自然な思いやりを彼らは確かに示してくれた。

今どうであれ、そして、もう二度と会うことはないとしても、あの穏やかで明るい空間を私に贈ってくれた彼らの優しさを忘れたことはありません。

いつか、しわしわになったみんなでまたゲートボールよろしくペタンクしたいねって話していたけど、それはもう叶わないかも。でも、そういうことを言い合いながら、一緒に遊んだ思い出は、幼い日の冒険と同じくらい優しい胸の中の灯りです。

ありがとう、と今でも思うのです。

だから、彼ら自身の優しさが、彼らを包んで守りつづけてくれているよう、ひっそりと、届かなくても、変わらず願える友人であり続けることは、私にとって大事なことの一つです。

思い出を振り返ることは過去を旅すること。友人の若い姿を見つけることは、やっぱり一つの再会の形だと思っています。優しかったすべての人と再会させてくれる脳の魔法。

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