(雑文)真偽が気になる新京ことば

京ことばといえば、やわらかい言い回しのわりに、「いけずなお人」と言われたら「意地の悪い人だな」という意味であるとか「ぶぶ漬けおあがりますか?」と言われたら、「とっとと帰れ」という意味なのだ、とかいくつか有名なものがあります。優しい言い方だけど、実際は意地が悪くて、京都の外から移住するのはすごく大変なのよ、というのは、一般に京都の外では、日本各地でささやかれる京社会へのイメージです。

割と不名誉な評価な気もしますが、京都の人は天下人であるという誇りをもって、ひょうひょうと受け入れているようです。これもまた文化。田舎者はここで憤慨する、けれど京文化に生きる人は、これで感情的に目くじらを立てたりはしない。天下がころころ変わった時代に、日本の中心地であった京都の町人たちの処世の技と、文化の中心であるという矜持が合わさった優雅さの表れとも言います。

ね、見習う点も多いでしょう。そして、京都の外の人だって、こぼすけれどそれを知らないわけではないです。

個人的な意見ですけれど、イギリスの貴族階級のイメージとして取り上げられる、シニカルで丁々発止とした言葉選びに似ている気がします。私はイギリスの方と一緒に働く機会があったとき、育ちも良く、マナーも良く、いろいろ良く気が付く彼・彼女らとの、日々の会話で時々、宇宙の中に放り出されたような気持ちになったものです。自身の文化ではひどい言葉になる言葉を優し気に言われると、人は混乱するものです。すごくいい子なのに、実はすごく性格が悪いのか、実はすごく嫌われているのか、どっちだろうと思ったものでした。

それが全くの誤解で、イギリスではそういうシニカルな会話が、教養のあるおしゃれな会話で、彼・彼女が本国にいれば、皆が気持ちよく笑うだけの言葉であったことを知ったのは、日本に帰ってかなり経ってのことでした。顔面通り受け止めて、ショック受けていた私は、(私の文化では冗談のレベルを超えていたのですが)冗談の通じない、おしゃれな会話ができない、完全にユーモアの分からない田舎娘と思われていたかなー、とがっくりきたものです。しかも、向こうも意地悪で言っていたわけではないので、私が外国人であったこともあり、素で傷ついた反応に、向こうも傷ついていたのですよ。それを知ったときは、頭を抱えたものです。今思い返しても、あんまり心臓には優しくなく、今後似たような状況になったとき、もっとハイソな受け答えができるかは、全く自信がないです…。

さて、日本では、比較的似たような文化を持つと評判の京都に住んで長くなってきました。

九州の田舎で育ったものとして、やはり顔面通り言葉を受け取りがちで、やりにくい人だなぁ、と思われたときも多いと思います。例えば、会議の場で、「きれいな声だけど、あなたの声を聴くと頭痛がする人がいるそうだから黙っててね」といわれ、発言内容ではなく、声というどうしようもないことを笑われて、あっけにとられたこともあります。しかも、頭痛がするのは第3者です。その人にとって、ひどいことを言ったのは自分ではなく、しかも頭痛がするって可哀そうでしょうと、優しくかばう自分という立ち位置を確保し、自身の外面を守った発言です。京ことば、処世術という文化を反映させているそうですが、発言も責任を取る気さえなく、卑怯な言い回しだなぁ、と田舎者には映ったものです。そういうふうに感じることを、育ちの低い者だ、と見られるという文化。

難しい!

まぁ、言いたいことは「黙ってろ」です。理解するのはまったく難しくなく、あっさり理解はできましたが、その発言する人に対して自分が偏見を持たないようにすることが難しい。

京都であればどこでも経験するわけではなく、やんごとない人に出会ったわけでもないので言い切れませんが、どちらかというと町人文化のようです。興味深いですね。

今暮らしやすくなるためにローカル文化を身に着けるのは、その時を生き延びる処世術かもしれません。が、この悲しい気持ちを引き起こす、興味深いけれど負担を感じる文化をあえて身につける必要はない、とも思いました。影響を受けていってしまうのは、ある程度仕方ないので、当時は、いつか自分もこういう文化が身に付いたら、郷里には帰れない身になるなぁと哀しく思いました。

今は悲しくないですよ。私は私の答えを見つけました。

その文化のあなたの好きな面、嫌いな面、全く違う社会における異文化も経験して、いろいろな経験が増えたらより容易く、あるいは時間をかけて、いつかはすべてがうまく混ざりあって、老いた貴方を形作るものになっていくのです。自身を客観的に鍛えることができれば、そういう色々なものをひっくるめても、自分でいられます。生きている限りいろいろな経験を積み学ぶことができるのは、人類の優れた点です。

皆様、自身の常識とは異なるものにぶつかるのは、いくつになっても、誰にとってもそれなりに困難です。でも、どうかそれを恐れて閉じこもらないでください。自戒も込めた年寄りの一人言。辛いことがあったときほど、新しいことに挑戦してください。違う経験ができます。自分のことを好きでいられるように、そして経験が偏らないようにしていけば楽になります。貴方が経験し、感じることが、貴方の魂を形作っていくのだから。

さて、話がずれました。

今日、真偽が気になる言葉は、これ。

「マスク足りてますか」

京都の人がこれを言うとき、「うちには来ないで」「京都に来ないで」という意味だそうです。京都の外の方が教えてくれた新しい京ことばです。

コロナで生まれた新京ことば。これ本当?

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