学問が助けるコミュニケーション

しばらく若い知人にブログをバトンタッチしていました。

彼は、誤解されやすく、人とコミュニケーションをとるのがあまり得意な方ではない物静かな青年です。

その彼が、猫さんを拾って、しばらく育てていたようです。

里親さんを早々に見つけていた彼は、その猫さんと今は暮らしていないけれど、なんだか気が抜けた様子で、家にいても寂しいからと遊びに来てくれました。彼は犬や鳥、亀や昆虫など、それなりに生き物を育てていた経験がありましたが、猫さんはとても新鮮だったようです。犬は跳びついてくる、しっぽをふる、などごく一般的に良く知られるコミュニケーションがありますが、先日彼が報告してくれたことは大変興味深かったです。

「犬は分かりやすいし、鳥は逃げない、カメや昆虫は感情を読むのは大変難しい生き物なので、「生きる」かどうかで相性を見ていく必要があるけれど、わかりにくかったけれど、猫は感情表現が豊かだったよ、ミオさん。僕は最初猫が何を言っているのかわからなくて、かなり落ち込んだものだけれど、読み物を通してある程度分かるようになったら、本当にかわいかったよ」

彼には猫と犬は違う、という意識があったのと、野良猫だったので、なつかないだろうという先入観でその子猫を保護していたので、最初はおなかを見せられても、かゆいのかな、くらいしか思わなかったんですって。ふふ、猫って撫でてほしい場所を差し出してくる生き物なんですってね。

でも、猫さんがどうしてほしいのかわからなくて、いろいろ情報を探したら、実は猫さんがとても満足して暮らしてくれていることが分かったそうです。しっぽを立てて歩く、おなかを見せる、頭をすり寄せてくる、足元にまとわりつく、ふみふみする、仕事を邪魔する、近くにいたがる、遊んでくれと催促する、じっと見つめる、傍で寝てるとやってきて舐めてそれからもっと近くにきで眠るなどなど、撫でようとしたら飛び去ることもあったし、抱っこも嫌がる子だったけれど、見つかった読み物が伝える「幸せな猫のしぐさ」や「猫が好きな人にするサイン」などすべてをやってくれていたそう。

人とのコミュニケーションは、笑顔でも怒っているときがあったり、社会生活を営む上でいろいろなことが水面下で動き、ひどく難しい局面に向かわなくてもいけないときがあります。けれど動物は違います。気持ちがわからな生き物は確かにいます。でも虫の研究をしていた時、虫は決してうそをつきませんでした。彼らは「生きる」ために本当に必要なコミュニケーションをとっています。簡単に気持ちのわからない生き物は、あなたの傍で「生き続けてる」という事実が、彼らとあなたの愛情の絆なのです。ペットの場合、犬は人間と「善かれ」と思うことも似ているみたい。猫はまっすぐだけれど、少し違う面を持つことはよく知られています。

今回私が、はっと気が付いたことは、動物は、ちゃんと勉強して知識を持って臨めば、ある程度とはいえ、コミュニケーションが取れるということ。

人間と違って動物の場合は、報告されている行動は本当に彼らがそう感じていることだとみなせるということ。思いやれるということです。

脳波や生理反応を通して人間のコミュニケーションを研究している研究者も多くいますが、人間の場合は、「心」が「生きる」から乖離したところで作用することもあり、また「生きる」=「出世」になっていたりすることもあって、現代社会においてその利用はひどく難しく思います。

でも、私たちは、少なくとも家畜やペットを幸せにしてやるコミュニケーション力をつけることは可能で、それには確かに学問が貢献しているだな、とふと思ったのでした。

しっぽを立てるとき猫が幸せを感じている、というのはやはり研究成果でしょう。アニマルウェルフェアが言われるようになって、動物行動学者の活躍の場は広がりましたが、生態観察や、行動観察を通して感じるときはあっても確信を持つのはやっぱりオキシトシンが分泌しているとか、心拍数が変わったかとか、そういう事実に偏りがちな私たち。

でも、哺乳動物なら、まずは、「逃げない」、それから親に見せるしぐさなどを人々が生活の中で観察したことが、科学でも実証されて、事実として情報として発信される。感覚がわからない動物でもこうした情報を活用する配慮があれば、少なくても私たちの側から彼らの気持ちを思いやることが可能なんだ、ということです。余談ですが、「恐怖」というのは、昆虫、魚類、両生類には爬虫類、そしてもちろん哺乳類まで、あらゆる動物が持つもっとも根源の感情だそうです(本:動物感覚)。恐怖を感じて危険を回避しない限り、生き伸びることができないからだそうです。感情も、根源の部分では生きることに結びついて大変ロジカルです。

学問がここまでコミュニケーションに貢献している分野(動物行動学)ってあんまりない気がしてきました。研究が進めば進むほど、思いやりを持って生き物と接することができるようになります。

年若い友人は、いろいろな動物の行動が伝える気持ちについてもっと勉強していこうと思っているそうです。「だって勉強すればコミュニケーションが取れるようになるんだよ、すごいことじゃないか」ですって。

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