トレド
教会に、教会のほかに大聖堂だの礼拝堂だの聖堂だのの違いがあるなんて全く知らなかった若いころ、たくさんの教会を訪れました。ヨーロッパでは教会は誰もが入れる場所で、それだけでなく建築的にも可愛かったり、荘厳だったり見ごたえがあったので、新しい町に行けば必ず訪れたものです。
私は結局無宗教を選びましたが、家族に熱心なキリスト教信者がいたのと、10代の頃に仏教系のミッションスクールで学業を修めたので、キリスト教と仏教には身近で気軽な心持があり、日常的に遠慮なく訪問してよい場所であるという意識がありました。その清澄な雰囲気も好きだったので、よく訪問したものです。また古い物語が好きだったので、神道についても好きで、神社はそもそも出入りも自由なことからやはりよく行きます。個人的には神様として身近なのはやはり八百万の神様かと感じています。
教会もお寺も神社も自然の採光を多く取り入れた、明るくて吹き抜ける感じのものが好きです。神社は大きな神社でも、自然と日の光を多く取り入れていますが、お寺と教会は大きくなればなるほど、日の光が入らない構造のものが多い気がします。これは彼らが社会で果たした役割も、一つの理由であると思います。神様よりも人間のものである、と感じます。これはモスクもかな。
カテドラルは時代様式にも依るのですが、基本的には大きく暗い、という印象を想っています。多分、初めて訪れたカテドラルの印象が強く残っているのも、そう感じる理由の一つです。
初めて行ったカテドラルのことは今でもよく覚えています。スペインのトレドの大聖堂(カテドラル)。
中は真っ暗に近いほど薄暗く、でも一面に金箔が張られていて、カトリックらしいその暗く深くしかしきらびやかな様子がとても印象的なカテドラルでした。ステンドグラスの記憶が一切ありません。西欧の文化的な土台の中にアラビアの雰囲気も漂い、重たく暗く分厚い壁のなかに揺るがずにある静謐な空間。汗をかく晴天の日に行ったにもかかわらず、奥が見えないくらい暗くひんやりした場所で、御上りさんとして一通り眺めたものの、私は途中でやや怖くなってしまったことも覚えています。そしてカテドラルのサイズを覚えていない。どこまでも深く奥へ続いているような、別の建物に続いていたような漠然とした印象だけが胸に残っています。
金色の法衣をまとって歩き回る遠い遠い時代の学び手だか修行僧だか判明しない人たちが、聖堂の中を大きな本をもって行き来しているのに誰も気が付かない、そんな感じで、その時見た影みたいな人たち(なんせ暗かったので)のことは今でもよく覚えています。恐ろしいといっては言い過ぎですが、その暗さや金の装飾を少し異常に感じてしまって怖かったのでした。
彼らは現代のトレドのカテドラルの司祭様ではなくて、1000年前からそこにいるような。
この人たちに家族や友達がどれほど身近にいるのかはわからないけれど、大きな本を読んで、真理を求めて、人類、という大きなレベルで人々の救済を祈って、威光をふるうことを当然とする人たち。生も死も関係なく、もしかしたら死んだことさえ忘れてしまって、ただ魂があり続ける限りあくなき探求をしている人たち。そんな幻影がよく似合うカテドラルでした。たくさんの人に開かれた祈りの場というよりも、非常にこだわりをもって勉学に励んでいた司祭様ばっかりが、気の遠くなるほどの長い時間その場所にいたんだろうなぁ、と今でも思っています。
まるで異界がそこにあるような幽玄さに満ちている。
若い私にとって、異文化に触れた瞬間の一つだったと思います。ケルト文化やキリスト教はキリスト教でも自然とのつながりを感じる場所では感じ得なかった感覚です。自然というものはすべての生命体にすべからく身近なもので、日の光の下で自然を怖いと思うことは多くはありません。暗く閉ざされたその場所からは、人間文明中には一心に世界と神と人間の真理を求めていた人たちがいたのだとのだということが、重さをもって伝わってきたのでした。
カテドラルを出たら、シエスタの時間になっていて、すべてのお店が閉まって人もほとんどいなくなってしまっていたのが、もう一つ、このカテドラルを印象付けた要因だったかと思います。びっくりしたので。
途方に暮れて歩き回って、ようやく見つけた開いていたお店は本屋さん。
片言の英語で、16時までカフェもレストランもスーパーも土産物屋もタクシーも、全く利用できないわよ、と教えてくれた書店員さん。金髪の優しそうな女性でした(実際に優しかったですし)。シエスタ、これは旅人としてはなかなか衝撃を受けたスペイン文化。何も知らずホイホイ旅していた若いころの私は、本当にあちこちでいろんな人に助けられたものです。
そうそう、お礼に本を一冊買おうとしたら、トラベラーズチェックは使えない、と言われて、せっせと銀行に行こうとするも、銀行もシエスタでねぇ。。。
当時、日本に身近な外国はアメリカで、小切手が活躍する場所しか知らなかったので、アメリカに行くときはトラベラーズチェックの準備をする習慣があったんですね。その習慣が常識としてあった時代で、その旅でも大きなお金はすべてトラベラーズチェックだったわけです。結局どうしたのだったかしら。今はクレジットカードでほとんどすべての支払いが可能な時代になりましたが、そういえば、あの頃は現金を持っていることの方が当たり前の時代でした。
訪れた街の中では、一番冒険小説にピッタリの中世の街だったかもしれません。
悠久の時を感じる場所の一つです。
百日紅と乾いた風と、不思議な静謐さに満ちた古都、トレド。