小さいけれど嬉しい経験

移動トラブルの話の続きです。

ただし、今回はシエスタと週末は関係ありません。

言葉のわからない国での旅の計画を立てるにあたって、3社のガイドブックを入手し、乗り物について、公共交通手段など、手を尽くして計画は立てていたものの、現地に着けば情報が正しくないことはあります(ちなみに3冊のガイドブックで評価高く、以降はその本しか買わなくなったのが地球の歩き方ガイド)。

アルマグロからグラナダに、直通の電車で行けると思っていました。が、直通の電車は翌日だったか2日後だったか、ともかくその日にはなかったのでした。

「〇〇(名前忘れました)に行くバスならあるわよ」

これは観光案内所のお嬢さん。当時のスペインの小さな町では、観光案内所でも英語を話さなかったこともあったので、アルマグロは良かったです。スペイン最古の劇場がある町です(特産品はレースのハンカチ)。

さて、お嬢さんが言ってくれたその地名、一応グラナダとアルマグロの間にある模様。見込み発車の良し悪しはともかく、予約した宿のキャンセルの技術がない以上、次の宿に向かうことに必死だった私は、ともかくそこに行くことにしました。アルマグロの観光案内所のお嬢さんは、そこからどうすればグラナダに行けるかも説明してくれましたし。

ここは迷子とは関係ない話なので、どうなったか先に述べておきます。そこから、さらにバスを乗り継いで別な駅舎に行って、グラナダに夜中の2時に到着するスペインの新幹線に乗って、ちゃんとグラナダに、まぁ、翌朝の前にはつきました。新幹線では偶然同じユースホステルに向かう英語を話すスペイン人と出会い、その人と一緒にタクシーでユースホステルに行くことができ(割り勘メリットで同乗者も募集し4人で)、彼のスペイン語能力で無事にチェックイン、寝床にありつくことができました。こうして書くと、若いころの私、だいぶん強運ですね。

まぁ、それはともかく話を戻して、アルマグロからバスに乗って、次の町に行きついたのが朝の10時半くらい。そこから再び乗り継ぎのバスだったか電車だったかが出るのが、おおよそ3時間後ということでした。

あの時のバスターミナルは、コンクリートの建物ではなく、古い町並みらしいレンガつくりの屋根のある壁のない空間で、黄色っぽい石造りの壁にまぶしい日の光がさしていた風景が残っています。

「3時間かぁ」電車もバスも分刻みで来る日本から来た私には気の遠くなるような待ち時間でしたが、どうやらその日(?)のうちにグラナダに行く目安もたって、割と落ち着いた気持ちであたりを見回しました。スペインのあの辺の地方は、湿潤な日本から来た私にはびっくりするくらい乾燥しています。乾いた赤っぽい砂が、黄色い壁や道路を流れて風に舞う町。

ターミナルの日陰に座り込んで本を読んでいる人、日向でハトに餌をあげている人、談笑に講じるおじさんたち。皆もゆったりしています。

私も本を一冊持っていましたが、せっかくの旅路、時間があるならまずは探検です。小さな町でターミナルから市民広場はすぐだったと思います。市民広場は少し高台っぽくなっていて、そこを下る感じに建物がぐるっと市民広場を囲うようにありました。窓から覗くと市民広場を囲んでいた建物はどうやら小さな個人商店みたい。ドアは木製が多くて、その前に金物製の格子戸が降りているので、正面からは何も見えないし、しまっていたら何のお店かもわからない感じです。どれも4畳くらいのサイズ。

そんな中、一軒だけ開いていました。なんと焼き菓子のケーキ屋さんっぽいお菓子屋さん。初めて見つけたケーキ屋さんです。

なんでかそれまで見なかった!

スペイン初のお店でお菓子を焼いている様子のお菓子屋さんに甘党派の私の胸は高鳴り、たまたまいたお客さんが買い物をする姿をじっと覗きます。市民広場側が高台だったので、私の身長でも窓から程よく覗けたんですね。

値札が付いていない?はかりがある??

お店の人は、ショーウィンドウのお菓子をはかりに乗せて、最後に紙袋に入れて渡しています。

スノーボールみたいな粉砂糖がいっぱいかかったクッキーが私の目を引きました。お客さんは笑顔で紙袋を受け取っておばちゃんとおしゃべりしています。

そこまで見届けてから、とりあえず一周して、広場を中心に町の様子を眺め、広場以外にお店がないことや、家もまばらで、どの家もシャッターが降りていることなどを確認後、またそこに戻って、お店の前に立ちました。お客さんはいなくなった模様。こっそり窓からのぞいていた店に、今度は正面から入っていきました。

水色のペンキを塗った石造りの小さなお店です。ペンキは結構剥げてしまっていたと思うけど、天井から観葉植物がぶら下がっていたり、一緒にぶら下がっているはかりも簡素ながら、なかなか良い雰囲気です。おばちゃんは奥にいっていて、今は12、13歳くらいの男の子がカウンター立っています(お子さんかな?)。

実はお菓子に費やすようなお金を余分に持っているわけではありません。しかし買いたい。

じっくり見ても値札が付いていません。一つの値段がわかりません。

「一個いくら?」店に入る前にチェックしたスペイン語で聞いてみます。しかし返事は思いがけず長かった!男の子がスペイン語で返事してくれますが何を言っているか、残念ながらわからない。。。数字だけなら分かったのに…

その白砂糖のついたクッキー、買いたい…。

クッキー1つの値段なんてたかが知れているでしょう。でも当時の、バイト代をためて旅していた学生だった私、実を言うと好奇心が刺激されない限り、食べるものは重要と思いませんでした。大事なのはより多くのものを見ることで、食べないからと言って体は不満を言わなかった頃ですね。もちろん成人してからは(成人は30歳以降です)、健康にも留意してちゃんと食べるようになりましたが、当時は親元にいて、親にぜいたく品を食べさせてもらっていたこともあり、さらに若さってすごいもので、2週間くらいは50セント程度のリンゴ3個と、バゲットじゃないけど、どの店も見かける細長いパンを一日一本、プラス、ミネラルウォーター1本でやっていけてた私にとって、クッキー一枚が200円だろうと300円だろうと、何なら3日分の食費でした。

しかし、その時は好奇心は刺激されていたし、物は試し。クッキーを指さして、1個のジェスチャーのために人差し指を一本立ててみます(こういうジェスチャーは時に危険なのでご注意を)。男の子、ニコニコとクッキーを取ってはかりにおきます。

それからもういらない、というジェスチャーとして財布を出してみました。そしたら、奥からおばちゃんが出てきて、何やら困った顔で説明。人間欲の皮が張っていると思わぬ能力を発揮するのか「最低100g」というのがおばちゃんの説明であることを、なんでか理解。

お店のおすすめを!(英語)、これ私。

ここもなんでか通じました。おばちゃんはお魚の形をした可愛いマジパン出してくれました。

100g、1ユーロ強くらいでしたかね、今で言うと。クッキーとマジパンを手に入れて無事に買い物終了。

私はホクホク店を出ました。ホクホクはね、いろいろな理由からほくほくしていましたが、なんといっても私をホクホクさせたのは、違う種類のお菓子もひっくるめて100gで値段がついていたこと。

日本という国は駄菓子のガムでもスーパーでもデパートでも、商品の一つ一つに値段がついていた時代です。しかも、何かを混ぜてくれるということもありませんでした。量り売りと言えば、お米くらいしか知らなかった私です。もちろんこれも、産地の違うお米を混ぜてはくれない。この後経験しましたが、スペインはアイスクリームの1スクープも、何種類も味を入れてよかったんですよね(1スクープのアイスにアイスを何種類も入れてくれる)。

量り売りの経験と、種類をいくつか混ぜても良かったこと、怪しげながら買い物もちゃんとできて、お店もすごく地元っぽくて、おばちゃんも男の子も物珍しげに私を見たりなんかして、実に遠路はるばる旅した甲斐があったと感じた満足な経験でした。

マジパンは、硬くて、ほんのり甘くて、水で流し込んだその時はそんなにおいしいとは思わなかったけれど、ガイドブックにスペインのその地方のお菓子として紹介があって、これまた嬉しくなりました。ここでいい経験をしたため、ずっと後になってからヨーロッパのいくつかの国を旅しましたが、初めての国では一度はマジパンを買って食べてみる、という習慣ができたきっかけとなった出来事です。ちなみにこれまでで一番美味しかったマジパンは、チョコレートがかかったデンマークのマジパン。マジパンがおいしかったのか、チョコがおいしかったのかは、ご愛敬。

今思い出してもニコニコしちゃう経験だったのですけれど、しかし今思えば、5円の駄菓子は常識として5円であって、商店のおばちゃんがちゃんと値札を張っていたかは覚えていません。商戦でもトリックでもなく、値札が重要でないから張られていなかった、そんな時代が、確かにあったなぁ、と書いてて思いました。

どこの町だったのかしら。。。

一瞬の記憶は忘れなくても、全体の記憶は薄くなるものですね。

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