緑があふれる壁向こう

城壁都市、というものを一番見た国がスペインだったかと思います。

ぐるりと石でできた壁で四方を囲まれた町。入口は一つ、内部はそこそこ広く、石畳が連綿と続き、石でできた建物に構成されている。必ず見晴らしの良い場所が内部に一つ。プラントポットに入れられたかわいらしい花や緑が壁を飾る小さな通りもあるけれど、基本的に中には緑がありません。

とても不思議な場所です。

ある町では門をくぐって見上げると、その上に静かに星の街灯を掲げる乙女の像がありました。

町を旅立つ者を見送っているそうです。静かな顔をした乙女像。掲げる星型のランプの往時の光源はろうそくだったのでしょうか。

星の乙女というそうです。

知識がないと気が付かないようなひっそりとした風情で、門の下を通る人たちを送っています。私は気まぐれのように振り返って偶然気が付いたのですが、見つけたときは心震えました。彼女を見たのは一度だけでしたが、他にもあると思います。少なくともそういう役割を果たすものがあった城壁都市は多かったのではないかと感じた乙女の姿でした。

石の城壁の上から街を見下ろせることもありましたし、新市街となっている街の外を見ることができることもありました。

ときには平野が広がる時もありました。乾いた風、赤茶けたあるいは黄色っぽい土、そして独特の薄い緑のオリーブの木。砂ほこりをかぶって似たような色で地面を飾る草たち。

スペインも北の方では緑豊かなのですが、中央から南に旅していた頃だったので、私の目には映る自然はあまり瑞々しくはありませんでした。けれど、とても美しく感じました。馬を走らせ、野を駆ける、優しい笑顔のお姫様がいるなら、彼女の城はきっとああいう場所に在るだろうと思ったものです。

たまーに、とても瑞々しい緑が目に入ることがあります。城壁都市の少し高台にあるような、塀に囲まれたお屋敷か何かの中にあって、背の高い広葉樹に蔦やヤドリギが絡みついて、傍らからのぞくもう少し淡い色の樹木には小さなかわいらしい花が咲いているような。庭なんでしょう。その緑の純粋な柔らかさとまぶしさ。塀の中はきっと美しいんだろう、見てみたいなぁと見つめてしまう住んでいる人の穏やかさを表しているかのような庭です。

塀で囲っておいそれと触れることも見ることもできないわけですので、寛大ではないのかもしれないですが、無邪気で輝く笑顔を持つ家族がいるんだろうなぁ、と通りすがりににっこりしてしまうような溢れる緑です。

あの旅路ではひどく宗教的な山間の村を訪ねたこともあります。私はこうした町や村を見て、当時の社会の仕組み、パン屋の子はパン屋になり、肉屋の子は肉屋になるという、そういう人間社会の連綿とした営みが、ひどく強い力として存在していた中世という時代を、自分が驚くほどに重くずっしりと感じたものです。子供は学校には行かないだろう、家族が喜ぶことをする(つまり働く)だろう、と、そうすることが生きることだったろうと、衝撃もある程度感じつつ、無理もない、という気持ちを持って、身に染みて感じました。

今の若者は、概念としてこの営みからは解放されているとは思うのですが、誰しもが生きている中で、いつのまにか同じ力につかまってしまいがちであるように思います。そういう点で、年をとればとるほど、中世に逆戻りしているのかも。何かを変える際に、曲がるかまっすぐ行くかではなくて、落ちるか歩き続けるかの選択しかない、というような不自由さが人生にはあります。

慣性の法則って、その流れを変えるのは、思うよりずっとパワーが必要ですよね。神様に生かされるように、すっとその流れから抜けていくこともありますが、いずれにしても今度は新しい流れの中で、やはり苦しみ生きていくしかない私たち。それでも巡りあわせや、あるいは自身の多大な苦労をもって頑張れば、流れを変える自由を持つ私たち。

ただ、これはきっと中世でも同じでしょう。人が変わらないのだから、星の乙女はそういうほほ笑みを浮かべていました。

命の長さは短かったけれど、人が思い願い、手を伸ばし続けているものは、今も昔も大して違わない。

人間が生きることは営みを守ることで、でもどうしようもなく壊して新しく作り替えたときに、時代が新しく変わっていくのかもしれません。

旅の途中で、この風景を届けたい、と思うような風景の多くは、なんでもないどういうものでもない、ただ何気なく目に入った世界のかけらでした。一人で旅していて、具合が悪いときは大事な人の誰にも迷惑かけないで済んだと大変気が楽でしたが、素晴らしいと思うものを分かち合う人がいなかったことだけは、本当に寂しく思ったものです。けれどもねぇ、この年になってしまうと、胸に浮かぶその人たちが、その気になれば会える場所にちゃんといて、時間がたっていても後で語ることができたということが、どれほど嬉しいことだったかと、ため息交じりに思います。

連綿と続く人の営みから逃げ出したいと思うことも自然だけれど、人として生まれたのだからどのような形でも今生で多くの心に触れておきたい、と思います。

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