氷室神社(奈良)

氷は古来からとても貴重なものです。

水は生物の生存に不可欠ですが、氷は水の別な形態です。水は汚れを流すものとして、多くの文化で尊ばれますが、北の寒い文化圏では、氷の方が水より神聖視されていることもよくあります。ルーン文字のI(イス)はそのまま氷を意味しているといわれ、その文字はルーン文字では一番神聖な文字と考えられているそうです。

暖かい地方で育ったこともあり、雪は昔から大好きでしたが、北国、と言われるノルウェーやアイスランドに行って、そびえたつ氷に圧倒されて以来、氷への認識は大きく変わり、今、私は雪と同じくらい氷に畏怖と親愛の心を持っています。

日本の氷について振り返ろうと思い立ち、そして氷っていいな、と改めて思いました。

清少納言が、枕草子にかき氷を記述していることは有名ですが、奈良の氷室は日本書紀にすでに記述があるものです。このため奈良(福住区)は日本の氷室発祥の地と言われています。

奈良で氷室神社を見つけたので、迷わずご参拝させていただきました。奈良公園に近い場所にある氷室神社は、大きな神社ではないけれど、昨今の奈良のかき氷ブームを支える存在ともいえます。甘味好きとしても、ご訪問しないわけにはいきません。

奈良を含めて本州あたりの温暖な地域では、冬の間に管理された湖の表面にできた分厚い氷を年間を通じて利用できるように氷室に運んでいました。

日本の氷室は、例えば富士山のふもとには氷穴があり、その温度は場所にもよりますが、夏場も常にゼロ度以下というようなものばかりではありません。ただし断熱性が非常に高い場所が選ばれます。あるいは人力で穴を掘って作られます。ここにおが粉と氷を詰めて、氷が解けないように温度管理され、保管され、そして切り出され、冷蔵庫や生ものの運搬に利用されていました。

場所によっては冬の間もゼロ度になかなかならないような地域で、何週間かかけてゆっくり大きくなる氷は、限りなく透明に近くなります。こうした氷は現代の冷凍庫では決してできないものです。冷凍庫は温度がとても低く水が急激に氷に代わるため、氷の結晶が大きく、空気が抜けきらないからです。自然界の温度で氷ができるとき、緩やかに変化していく外気によって徐々に徐々に形成されていく氷の結晶は、さながら雪の結晶のごとく微細で、空気を含みません。このため透明な氷ができるのです。

日本に高度経済成長がくるまで、こうした天然の氷を利用した「氷の冷蔵庫」は各家庭でも一般的で、氷売りというのは珍しい存在ではありませんでした。冷凍庫は便利だけれど、時代の中で失われたものの一つとして、少し寂しい気もします。(東京の山の上ホテルでは、今も氷の冷蔵庫を使って魚介を冷やしているそうです。冷蔵庫に入れるより、鮮度が高く、ずっとおいしいそうです)

清流の神聖さにあやかった水みくじは、貴船神社、下賀茂神社、北野天満宮など時折見かけますが、なんと氷室神社には「氷みくじ」がありました。

かき氷ブーム乗って最近できたおみくじということだけれど、張り切って引いてきました。

氷の上に置いたらゆったり文字が浮かび上がって嬉しくなりました。氷、いいなぁ、と再度思った神社訪問でした。

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