(感想文)バンクシー
大阪のバンクシー展に行ってきました。
バンクシーという方は、謎に満ちた方である、というのは一般に言われることで、本名、生年月日不詳、といわれる天才アーティストです。
時折ニュースで見かける名前で、なるほど粋なことをなさっているなぁ、とは思っていたものの、秀逸な絵とはいえ、数多くの若者が気紛れに、あるいはのめりこむように行うストリートアート。路上で命短いうえ、上から塗りつぶされることもあったろう彼のアートが、あれほど世界的に有名になった背景というものには好奇の心を抑えられず、かねがね不思議に思っていました。
今回、たまたまバンクシーの展示会があると聞いたことを好機と考え、足を運んだのでした。
展示会は素晴らしかったです。
アーティストの一面をうまく浮き彫りにした面白い展示会でした。キューレターの方の腕がうかがえます。
バンクシーという方のユーモアや愛嬌、人柄を表すエピソードを温かく紹介し、そして臨場感あふれる空間づくりの中から、世界の平和と人々への愛を祈るメッセージまでが見事に演出されていました。メッセージにもシニカルな捻りが効いているのですが、ストリートアーティスト同士の友情をはぐくむ洒脱なやり取りの紹介や、皮肉な中にも愛情深い人柄がのぞく行いの数々。
感心しました。
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絵とメッセージ
この二つがそろって、その芸術がひどく「完全」な形になるような気がするのに、メッセージをつけるのは芸術家自身でないことがあるという路上アートという世界の不思議さを知ることができました。
億という金額が付く彼のアートは、何気ない毎日を一生懸命生きている世界のどこにでもいる第3者、私たちの友人であり、家族であり私自身であるような大衆が、そのアートに触発され、暖かく世界に広げる波動を持つものだった、人々を巻き込んでみせた彼の作品だからこそ、それだけのお金を支払おうと思う人がいるのだな、ということが、弾むような気持ちで理解できました。
そう、彼が芸術を通りしてのぞかせる愛情深さは、彼自身のものでなく、今日辛いことがあったとしても、この世界には愛情を持って生きている人が近くにいるんだよ、ということも伝えているのです。芸術が、一つの素敵な掲示板のような役割を果たしていると思いました。
本人も、20年くらいは無名の時もあったり、自分が販売するときは、その絵は6000円だったり、そういうところがとても身近に感じることができる人のようです。隣にいる誰かを大事に思っているんだろうなぁ、そして、きっとその人を笑わせるのも上手なんだろうなぁ、と、フッと口元がほころぶような、時にはジーンと静かに感動するような、そういう芸術家と同じ時代に生きているんだな、と、それだけで少し嬉しい気持ちが湧いてくる、そういう展示会でした。
現代アートは、画材(材料)が自由なところが特徴です。
彼の芸術は、路上と、スプレーと、自分と、そして自分以外の人々の心というものが材料として使われている芸術でした。
現代アートの真髄ってこういうものかも、いいえ、こういうものこそを現代アートと呼びたい、そう思った優しい午後となった週末でした。