新しい年を迎えての気持ち
スピリット、またの名を精霊。
スピリットはどこにでもいて、大切な知らせを伝えるために、時にあなたの前に現れる。
多くの場合、あなたとあなたの大切な人たちを守ってくれる。
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疎遠になった友人からネイティブアメリカンの旅路についての本をもらって読み始めました。
30年ほど前にアメリカで当時はまだインディアンと呼ばれていた人たちのreservationと呼ばれる保護地域を訪れて、銀の守り指輪をつけていた時期があります。大切にしていて色々な旅の中で、身につけなくても持って行ったちいさなトルコ石のついた指輪でした。
何回か繰り返した引っ越しの中で、いつの間にかなくなってしまいましたが、ネイティブアメリカンの考え方はずっと好きで、いろいろな本も読みました。リトルトリー、今日は死ぬのにもってこいの日、それでもあなたの道を行け、それからスミソニアン博物館で保護されたイシの話。。。
文化的で潔癖な考え方をした素晴らしい人たちの歴史が血と涙に彩られていること。できるだけ親切に誠実に相手に接し、そしてこれ以上踏み込ませない境界線を有している人たちでも、平和で穏やかな命の営みを得ることができなかったことについて考え、踏みにじられても正しいと信じることのために懸命に生きることの美しさというものについて考えたものです。
印象的だったのがスピリットの考え方。
私は自分のスピリットの姿をある程度「知っている」と思っています。時々会いに来てくれていると感じているからです。
スピリットって、人に話して良かったか覚えていないので、何のスピリットか、等は話しませんね。ただ、スピリットに出会ったことは長老には報告して、助言を得ることはあるようなので、全く話してはいけない、というわけではないのでしょうが。。。
私のスピリットは、生き物としては弱く、色もきれいではないです。でもその子に出会うと、とても安心する、心が高く上るような気持ちのする、私だけのスピリットです。
その子やその子に連なるものには会えば分かるのですが、当人が来ることはあまりないので、力は弱いんだと思います。サインを読み解けたことは今までにあまりなく、訪問のしがいのない私であることも一つの原因かもしれません。
スピリットは特別な存在ですが、ネイティブアメリカンの歴史にあるように、苦難から私を守るものではありますせん。
私はスピリットと生きてきました。これからもこの美しい友人と生きていきます。今生を懸命に生きた後は、この友人の傍に行きたい。あるいはこの友人のそば以外には、私にはいく場所もないのかもしれない。
2023年はそんな風に思いながら始まりました。
本年もよろしくお願い申し上げます。