日々繰り返す出来事の一つだけれど

このブログを応援してくれたお友達と疎遠になって、何やら何も書く気がしなくなってしまってしばらくぶりの更新です。
でも、そろそろ受け入れることができるようになりました。
人と人が、同じ方向を向いていられる時間も、互いを好きでいられる時間も、どんなに長くても、いつか終わるが来るものですもの。
知っていることと、踏ん切りがつくことは違いますが、知っているから、踏ん切りをつけることはできるのかもしれません。
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虚しい。どのメッセージを受け取るときもパッと心を明るくする優しい言葉があった。今は送っても応答はない私のメッセージ。予期せず送られてくるあなたの謎のリンク。
辛い。私と友人でいられて嬉しいと言ってくれていたその思い出。友人でいてあげる、と言ったその言葉。そして、そのきっかけ。
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惜しむ。あなたの可愛らしさ。無邪気さ。颯爽とした後ろ姿。それからインスピレーションや思いやり。
憂鬱。このブログを引き続き読むのかしら、と考えたことで生じた自分自身の気持ち。読まなくなるんだろうなと思うことで生じた自分の気持ち。それでも大切な友達だと思う気持ち。
残念。自分をありのままに好きでいてくれると思ってた友人が、仕事一つで変わってしまったこと。仕事が変われば、私はあなたにとって不足する友人に過ぎなかったこと。
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一緒に過ごした時間が生んだ気持ちは今でも胸にあり、人生の中でそういう出会いがあったことだけに感謝できると思うようになり、諦める気持ちになりました。
ありがとう、またいつか。
違う方向へ歩き出す時が来たこと、あなたの行く道について、大きな祝福を送ることができればと思うようになりました。
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ありがとう、またいつか。
もう二度と交わらぬ道に立っていたのだとしても、
同じ言葉を伝えましょう。
ありがとう、またいつか。
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例えばもう読んでくれる人はいなくても、まぁ世界は回っているわけです。
仕切り直しに着手できると思えるようになりました。
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何歳になっても、ほとんど一人で暮らしていても、繰り返し繰り返し人生の中で直面するんですねぇ。
皆様、またよろしくお願い申し上げます。
ぼくじゃない。
きみが「友だち」と呼んでいたものは、ぼくじゃない。
きみが作り上げた偶像だ。きみが願っているものの幻燈。陽炎。
ぼくは、人間なんだ。傷つく心を持っているんだよ。
もっと直にやり取りしたら、分かってくれるかと思った。
二人で協働して何か作ったら、お互いもっと分かり合えるようになると思った。
ぼくを、ぼくとして見てくれるだろうと。
でも、
ぼくの、きみの作った型にはまりきらない部分を、きみは認めなかった。
「変わってしまった」きみはそう思った。
「私の「友だち」は、もっとやさしかった」
はみ出ている部分は、きみを怖がらせた。
はみ出ている部分を、きみは出来るだけ無視して、なかったことにしようとした。
でも、ぼくはいつでもぼくだったんだよ。
手紙。
きみは、その中の気に入る部分だけを集め、それを組み合わせて、
偶像をつくり上げ、ぼくのなまえをつけた。
何度手紙を書いても、
きみの頭にはぼくの本当の姿はうつらない。
偶像だけが丸々と太っていく。
だんだん筆が重くなった。
自分のことを伝えようと手紙を書いても、好きに解釈するんだろうなあ。
勝手に歪められ、崇められるのは悲しい。
どうやったら、違うって伝えられるんだろう。
そのとき、
オンラインで、直にやりとりする機会があった。
これだったら、ありのままの姿を見てもらえるかな?もっと仲良くなれるかな?
そうだ、一緒に何か作ろう。そうしたら色々話せるな。
一回目は、きみは嬉しそうだったね。日記にも楽しかったと書いてある。
ぼくはね、楽しかったけど、話したいこともあった。
自分が色々話す番が来るのをじっと待っていたんだよ。
でも、その時は来なかった。ちょっぴりがっかりした。
そして、一緒に作ろうとしたものも、何だかうまくいかなかった。
楽しくできるかと思ったけど、きみにはプレッシャーでしかなかった。
二回目
きみは、会話に穴が開かないよう、必死で色々なことを話した。
ぼくは、一緒に作るもののことを話したかったから、自分が話せる隙間があくのをずっと待っていた。ちょっといらいらしたから、きみは敏感にそれをキャッチした。
きっと、二人ともあまり楽しくなかったね。
一回目だったか、二回目だったか、
会話の流れの中で、ぼくが、自分の中でとっても大切にしている言葉を見せたとき、
きみは、それをちゃんと見もせずに、すぐに他のことに話題をうつしてしまった。
そのとき、ぼくが本当は何を感じ、何を大切にしているか、
きみは興味がないことが分かって、寂しかった。
これまであんなに長い間やりとりしてきたから、きっと通じることはあるはずだ、
そう思って、ぼくの言葉を、ぼくが言いたかったことと違うようにきみが解釈したときは、「私が考えていることは違う」と言うことにした。
友だちなら、真っ直ぐに感じていることを伝えることが礼儀だと思ったから。
でも、それはきみの気に入らなかった。
「おこりっぽくなった」「怖い」きみはそう思った。
「前と違う」
そりゃ前と違うさ。
ありのままの自分を見てもらいたいもの。
ゆがんだ偶像じゃなくてね。
三回目
関係性を変えようと必死になった。真っ直ぐに思うことを言えるようになればいいと思った。これは良くなかったね。きみは深く傷ついた。
「人間」のぼくとはもう関わりたくないと思ったんだろう。
きみが、「自分は話はないけど、人にはさぁ話せ、というのは横暴です。」と書いてきたとき、ぼくは本当にびっくりした。きみに「さぁ話せ」と言った覚えはない。命令した覚えは何もない。ぼくは、自分が話す番をずっと待っていた記憶の方が強い。
それから、きみから届いたメールを見たけど、「人間」のぼくは、まったく存在しなかったことになっているね。「昔のように」お互いのモノローグでやり取りをして、きみが作り上げた「友だち」を、理想の形で保てるように、そのバランスを壊すものがないように…
ぼくは人間だから、自分のままでいさせてほしい。
ぼくが言うこと、感じること、興味を持っていることを、そのまま受け止めてもらえて、そこから話を発展させていける関係性を心地よいと思う。
偶像にされてしまうのは窮屈で悲しい。偶像になることは拒否するよ。
きみの文章では、ぼくがきみを受け入れられなくなったんだと書いてあるけど、
きみもぼくを受け入れられなくなったんだとぼくは思う。
きみは豊かな感受性を持っていて、文才がある。
ぼくにそんなこと言われても嬉しくないかもしれないけどね。
詩集・エッセイ集を出したら買うよ。
出会って、会話して、それなりの時を経て、友達と感じた人に、それは私じゃない、偶像だ、とその人に言われたら、どうしたらよいだろうか、と考えます。
私はわかり合えると思えるほどにも若くもなくなってしまいました。
だから、偶像同士の会話を無意味とは思わないし、でも分かり合いたいと思う気持ちの大切さは分かります。
人は鏡なんだと私は思います。あなたの振る舞いは、相手の振る舞い。
お友達は、今でもあなたの言う「偶像」のあなたを想っているかもしれません。
あなたにとってそれが許容されないことなら、友達もそれに意味を見出しはしないでしょう。
ただ、信じていてください。もう交差することのない友人でも、友人の不幸を願う人はいません。
その人はいつでもあなたの幸せを祈っています。
もっとやさしさの交換ができたらよかったね。