(雑文)ぐるぐるでも納得したいこと
現代社会に生きていて、多くの情報に取り囲まれて、大きなアクションを取るわけでもないけれど、日々暮らすレベルで何かしたいときがあります。
例えば、ごみを減らすとか、マイボトルを持つとか、席を譲るとか、そういったことは当たり前としても、世界で起きる哀しいことの解決のために何かしたい、と思うと、苦労して稼いだお金とはいっても、痛みも苦労もない方法の一つとして、寄付しようと思いますよね。
引っ越しの時に出た、まだ使えるものを寄付するとか、そういう日常レベルのことじゃないとき、ちょっとまとまったお金をどこかの団体に寄付したい。ユニセフ(国連)とか、ワールドビジョン(キリスト教)とか、シャンティ(仏教)とか、Planとか。
でもここでふとハタと考える。こういう活動をしている団体が宗教団体のとき、ある宗教の信者だけが救われることになるのでは?すると宗教が選択圧になってしまう?人は空の下で平等でいてほしいのに? この団体は信用できる? 正しい使われ方をする?
団体が寄付を募る宣伝を盛んにすればするほど、ちょっとだけ胡散臭い気持ちにもなってしまいます。寄付金の何割かはこの広告費なんだろうなぁ、とか。
でも、その団体は確かに、その慈善活動を行っていて、じゃあ、寄付したらその何割くらいを使ってくれているんだろう、とか。
寄付する金額だって、日常生活から、これくらいで許してね、っていうだけの、微々たるものなのに、いろいろ考えてしまうんですよねぇ。
でもやっぱり、世界の同胞のために何かちょっとでもしたいなら、寄付は一つの方法なのです。仕事をやめて現地までボランティアに行って…、とても立派なことだけど、その後の生活は?と思い悩んだこともありました。今は町内会のシルバーボランティアにいそいそ行けばいいけれど、それは生活を犠牲にするものではないでしょう。少し若いお友達(とはいえ後期高齢者)にはボランティアではなく収入が必要だと、働いている方もいます。それはそれで一つの選択でしょう。ボランティアの方が立派だ、とか誰にも言えないでしょう。
じゃあ、寄付だっていいはず。
世界のどこかに自分のフォスターチャイルドがいるっていうのも素敵です。でも素敵って何?とか思いませんか。その子は家族の元で暮らせるし、子供の未来に貢献出来て、しかもその子とつながっていられて素敵だけど。でも素敵なのかしら。すごく貧しい国があって、私の微々たる寄付でその子の未来が「現代社会的で正しく輝く」ように支援するこの世界が?
支援を通してそういう格差を失くしていこうともちろん謳うのですけれど…。
それから個人情報をあちこちに書くのは嫌だなぁ、と思います。どこかに寄付すると、電子情報として自分の情報はちゃんと記録されていて、その団体から催促が時々届くようになります。不安になります。
ある団体の活動に興味を持っても、その団体からその後何十年も催促が来るのかなぁ、と思って心がなえることもあります。
めぐりあわせなのかもしれないですね。ちなみに私が今とっても活動を応援したいのはシャンティ(仏教)です。仏教系の中学校と高校に通ったので、お坊さんがびっくりするくらいシルクロードを旅していて、経典の旅を実践していることは良く存じています。入山料は必ず取るお寺ですが、きっと有意義に使ってくださるでしょう。
団体が口座登録をして引き落としを!と謳う理由はわかるけど、怖いなら登録しなくていいじゃないですか。支援団体の人も必死ですが、団体を支えたいと思う私たちがちゃんと立ってなかったら団体はいずれ潰れます。自分が怖いと思うことはしなくていいです。貴方が若くて、今しなかったら一生しないかもって不安に思っているとしても、定期的に忘れず振り込むならそれでいいです。
それから、これ以上、微々たる金額の寄付先を増やすより同じ団体に寄付した方がいいのかなぁとか、寄付に関しては思うことはいっぱいです。
わずかな金額に、重すぎるほどの期待を込め過ぎなのかもしれません。物はなくても愛があれば幸せなはず、辛いのは格差があるからなはず、少数民族の文化が失われていくことは悪いはず、でも伝統教育ではなくて現代教育を受けないと、現在の先進国にある快適な生活は得られません。何が良くて何が悪いのでしょう。飢えて死んでほしくはない、戦争で子供の権利や教育の場を奪われてはいけない、でも実際に何に使われているのかはちょっとわかりにくい。
金額がわずかであることを自戒して、使っていただきたい活動をしている団体に心を込めて寄付をして、ちゃんと地球人の一人である、という気持ちにならせてもらえることに感謝していけば、いつか運命の団体に巡り合うのでしょうか。
と思ったりもしましたが、世界に問題がたえなくて、気になることがありすぎて、そういうこともなさそう…。
こんなに悩んで、ちょっぴりしか寄付しないんですから、全くしょうもない話です。でも寄付を始めた20代の頃は、微々たる金額とは感じない微々たる金額だったのです。そして、すっかり年取った今も、微々たる金額とは感じない、でもやっぱり微々たる金額なんです。働き盛りにだって、今よりちょっぴり多かっただけです。そして私がその微々たるお金を大きなことに役立てることはできないので、どこかちゃんと活動している団体に寄付するのがやっぱり正解なんです。
基本、寄付って、双方win winなんだと思います。立派な人間と自負できることは何一つない小っちゃいおばあちゃんである私に、無理のない範囲で、何かに貢献したような気持ちをくれますもの。ただ、なんだかあんまり気軽じゃないんですの。でも問題そのものは深刻なので、ぐるぐる考えることはきっと良いことなのですよね。
これまでで、一番気軽だったのはワールド ギフトさんでした。お引越しの時に少しもらっていただきました。活用してくれるなんて嬉しい、ともらってもらえる感謝とともに気軽にお送りすることができました。電気製品まで引き取ってくださってありがとうございました。
私では手を差し伸べることができない世界中の困難に立ち向かってくださっている、すべての方と団体に、深く感謝申し上げます。
みなさんがいることは人類の希望です。
誰か、ミャンマーを何とかしてあげて、誰か香港を何とかしてあげて、誰かシリアを何とかしてあげて、って、思いながら何もできない私の気持ちを吐き出させて下さってありがとうございます。小さな私には、小さな寄付を通してでしかそういう気持ちを表すことができなかった。自分で何もしなくてごめんなさい、それでも祈っています、と思いながら、時々寄付をするのです。
どうか、紛争のある地域が、干ばつのある地域が、自然が失われていく世界が、命の輝きに満ちた明るい場所になりますように。
そのために尽力してくださって、本当にありがとうございます。