祝い酒(ラ・マンチャ地方)
ある年、両親の部屋にかかっていた外国の風景が乗ったサレンダーにとても好きな写真がありました。
丘の上にぽつんと風車が立つ建つ風景の写真です。
写真には「スペイン」とだけ書いてあったとおもいます。ともかく私は熱心にその場所の情報を集め、風車がラ・マンチャ地方独特のものであること、ドンキホーテのモデルにもなっていることを突き止め、この風車を見つけようと決めたのがスペインに初めて行ったときのこと。
ラ・マンチャ地方では、コンスグエラとエル・トボソにしか行ったことのないはずで、そのどっちだったか忘れてしまいましたが、到着の晩が偶然地元のお祭りだったことがあります。スペインはカトリックの国で、マリア様の信仰心が篤く、そのお祭りはマリア様のお祭りでした。祭りの入り口付近にマリア様をかたどった女性の人形の神輿が飾ってありました。移動の関係で着いたときはすでにやや薄暗く、何十年も前の9月の頃のことですが、当時のそのころ21時はまだ明るかったので、時間帯は割と遅かったのだと思います。
宿に向かって歩いている途中で行き合ったのですが、地元の人が大勢集まって、火を焚いて笑いあい、陽気に歌う様は物珍しく、ちっちゃな子供たちも走り回っていたことから、すっかりくつろいだ気持ちで、野次馬よろしくお祭りの片隅でニコニコそれらを眺めたり、歌を聴いたりしたものです。
私は大学でスペイン語を一年半やりましたが、大学の授業で出てきたスペインの童謡だか民謡だかも歌っていたのでした。スペイン語の歌など一つも知らないはずの私にも認識できた歌があったことを覚えています。何の歌だったでしょうか。日本の大学で机上の学業を受けたものが、実際に学んだことが生き生きと息をしている環境を訪れるとき、前後の記憶はあいまいでもその喜びは大きく胸に残るものですね。分かった曲は一つだけでしたが、すっかり嬉しくなって、その歌は一緒に歌った記憶があります。何の歌だったかしら、どこかに旅行記があるはずなのですがなくしてしまいました。
途中でガラガラと樽が引かれてきて、樽は、樽というか、農業用の干し草を運ぶのが似合うサイズの大きな荷車(たぶん4輪車)みたいなもので、干し草を運ぶものよりかなり高さはあり、首を突き出して覗いてみたら、液体がふちまでたっぷり。(干し草用の荷車の上に四角い樽が乗っていただけかもしれません)
そのころにはかなり暗くなっていて、色ははっきりしなかったですけど、澄んだブラウンの液体で、何やらいろいろなものが浮いていました。
私は、他人が嫌がるだろう、と思うこと以外では物怖じするタイプではなかったので、樽を運んでいたおじさんに「これなぁに?」と声をかけました。旅の荷物は自身が背負える範囲で、というモットーと、自身の体力を過信する気は全然なかったので、現代のおしゃれな観光客の方々ほどではないですが、それでもそこそこ大きな荷物抱えたアジア人が皆にまぎれてお祭りを見ていたことにきっと皆気が対いていたのでしょう(なんせあの旅行でマドリッドやグラナダなどの大きな都市を覗いてはアジア人を見た記憶がありません)。
おじさんはにこにこ笑って、ひしゃくで液体をコップに注ぎ、はい、と渡してくれました。
好奇心も強く、若く今より向こう見ずだった私、3秒考えて、コップの液体を、ガバッとあおって一気飲み。
ちゃんと弁明すると、その時私の頭の中では、言葉がわからない国で差し出された謎の液体を飲むことへの逡巡はありましたが、子供大人も好奇心いっぱいの顔で私とおじさんと私に渡されたカップを、それはにこにこ見ているのに気が付いて、まさか毒や薬ではあるまいと結論付けたんです。えぇ、本当です。甘くてジュースみたいでした。植物か果物が刻んで入れてあったみたいで何やら細かい固形物も喉を流れていきました。
その瞬間のおじさんと周囲の人の反応と言ったら!
びっくり目を大きく見開いて、直後に大歓声。
樽はなんせ来たばかり、私はお祭りの最初の一杯を差し出されたわけです。
おじさんはもう一杯飲むか、と手ぶりで聞いてくれましたが、おじさんと周囲の人の反応からなんとなくその液体が貴重そうだったことを感じたことと、好奇心の満たされた私はそれは丁重に辞退。それからおじさんはコップにどんどんその飲み物を注いで、周りの人たち、主におじさんたちに手渡し始め、我よ我よと出てくる腕で、周囲はかなりの混雑状態に。
荷物もあって、そこに突っ立っていることは邪魔であろうと思われたので、なんとなく嫌な予感もあった私は、皆に手を振って、その足でホテルに向かったのでした。
普段道に迷いやすい私でしたが、ホテルには迷わずついて、部屋のチェックインも無事にし、夕食かお祭りの見学にもう一回降りていこうかな、ということになって(半時くらいでしょうか)、異変が起き始めました(予感的中)。
つまりですね、その甘い飲み物はお祭りの貴重なアルコールだったわけです!
頭がくらくらして、そのうちにガンガンして、このまま死ぬかも、とかなり真面目に検討する羽目に。チェックインの後で本当に良かったです。
そうですよね、お祭りの飲み物と言えばお酒ですよね!
と今なら思うものの、当時はまだ人生の大半が10台で、そもそも私にお酒を差し出す人が身の回りに一人もいなかったため、思いもしませんでした。はい。
宿は私がその旅で一番豪華だったと思うくらい素敵な宿だったのですが、一晩トイレにしがみつくことになり、「このまま死んだら末代までの恥!」と思いつつも、「このまま死んだら、そもそも末代(子孫)などおらんな」と思ったり、その西欧の繊細な文様がふんだんについた、ピンクと白の可愛い素敵なベットで眠れなかったことが何となく残念という程度の、今となっては人生の小さな彩になった出来事です。
早朝まで便器を抱きしめていたものの、どうやら急性アルコール中毒にはならず、翌朝を無事に迎え、朝には通常モードまで回復していたのは、大変良かったことでした。
翌日は、若者がマリア様のお神輿を担いで町の中を行進しているのを見かけました。マリア様のお神輿は、しばらく市民広場に飾られてその後教会に納められるというので、町の教会にもよりました。
みなお祭りで出払っていたからか、教会にいたのはおばあさんが一人。
教会の入り口には、石でできた水のたまった洗面台みたいなものがあって、まぁ何だろう、と思いながら、こんにちは、とあいさつした私にいたずらそうな顔を一瞬して、おばあさんが、その備え付けの教会の水入れみたいなところの水をパシャっかけてきたことも覚えています。びっくりしたけれど、おばあさんはにこにこして悪意はなく、そこからいっぱいスペイン語で話しかけてきて、その後、バス停とか駅とか、私に必要な実用的なことのための道案内をしてくれたので、とても長い間あれは何だったのだろう、と思っていたのですが、その後7,8年くらいたったころ、どうもあれは祝福してくれたらしい、と気が付きました。教会に備え付けの水があるのはその後もかなり見かけたし、あれは聖水だったのではなかろうかと(流水ではないので、まさか訪問者の手洗い、つまりお清め用の水ではなかろうと思われ…いや、祈ります)。
なぜってスペイン語のあいさつの後、英語で話しかけた私に無言だったおばあさんが、その後ペラペラスペイン語でたくさん語りだし、ほとんどわからないなりに相槌を打っていたら「tu entiendes!(言葉が分かるのね)」(いえ、わかっていませんでした)とやたら言っていたので、言葉の通じなかったおばあさんが神様の力を借りてコミュニケーションしようと思い立ったのではないかしら…と。。。
スペインという国の良いところは、言葉がちんぷんかんぷんでも外国人を避けたりはせず、積極的に話してくれるだけでなく、大きな身振り手振りがあるのでなんとなく通じるものがちゃんとあること。当時の私は、西欧人の目にはおそらく10代に見えていただろうということもあり、あの旅では通りすがりの壮年の人や年配の方に大変心配され、かつ気にかけてもらい、私はスペインという国には深い感謝と親愛の情を持っています。
ともかく、風車もちゃんと見て、カレンダーの写真の風景というあいまいなものをちゃんと見つけ切った達成感も味わい、なかなかに思い出深いラ・マンチャ地方。
コンスグエラだったかしら、エル・トボソだったかしら。
でもお祭りをコンスグエラ、風車をエル・トボソ見たのではないかとおもいます。
薄い色の緑の涼しい木陰と、それから砂埃を舞い上げる乾いた風が吹いています。