雨の日のMA
せっかく外遊びに目覚めましたのに、先週末も今週末も結局良いお天気とは言えない空模様。なんて残念なのでしょう。
それでもせっかくなのでシトシト濡れてお出かけしました。行先は京都文化博物館。
今の企画は:Kyoto Art for Tomorrow 2021ー京都府新鋭選抜展ー
とても楽しく拝見しました。京都にいらっしゃる才能あふれた芸術家のみなさんの感性に、病気が蔓延していても、あまり人と会えない生活が続いても、世界は変わらず美しいと感じることができました。力あるアーティストって素晴らしい。
けれど、展示の中に、コロナの余波で失職したアーティストの現状紹介もありました。この方は、今は何を見つめているのでしょうか。
このご時世ですから人はあまりいなくて、少しもったいないような、でも良いことのような。
Art for tomorrowですからモダンアートです。
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母に手を引かれて歩くような小さな頃、モダンアートは意味不明でした。
母と行った美術館でミロの絵を見て、私は母に言ったそうです「ミオちゃんの方が上手だよ」
小学校に上がる前か後だったか。笑い話です。
小さな私のために言い訳しますと、その時の展示では、ペンキのバケツをひっくり返してキャンパスに流しただけのような作品が特集されていたのです。6歳くらいに見た絵を覚えているわけですから、今思えばミロの才能はやはり計り知れないのですけれど、絵画教室に通っていた6歳児の目指すものとは大きく違いますよね。ただ、3つ子の魂100までと言いますが、この時の記憶は私の中に長く残り、かなり長い間モダンアートには興味を持ちませんでした。
もちろん若いときに何度もそうしたアートに触れる機会はございました。ただ私にとって、モダンアートは見る人の心の奥深くを挑発するアートでした。その多くに、身体の限界を目指したもの、性の倒錯や、蓋をしたくなるような汚い感情に焦点を当てた作品があり、芸術に心に平安をくれるものを求めがちだったので、それも苦手意識が残った原因だと思います。
最初に私の保守的な考えを変えたのが、ピカソです。生きている間に成功した、芸術家の中ではひどく幸運でたぐいまれなアーティスト。
私は若い頃ピカソが嫌いでした。天才だろうが、若い頃の絵は上手くてきれいで感心していたことがあろうが、嫌いでした。スペイン戦争に抗議して描かれた大作、ゲルニカに「泣く女」「怒る女」というモデルがいるのですが、ケンカする愛人と妻がモデルになっていると、世界史の先生がおっしゃっていたことが、少女の私からピカソという人への尊敬の気持ちを摘んだのでした。不謹慎な人に感じたのですね。
けれど、スペインのソフィア王妃芸術センターで、ゲルニカの素描を見る機会がありました。「泣く女」と「怒る女」の素描もそれぞれ200枚以上あるのです。驚きました。
私は何に驚いたんでしょうか。
私はきっと、現代アートを浅いと感じていたのです。インスピレーションに頼って、人の弱いところへ切り込む、怖いアートだと思っていたのです。でも、そのアプローチは、けして軽い気持ちで行われているわけではなく、アーティストたちは、姿の見えない私たち、あるいは身近なあの人に、さらには自分自身に、心と体を削るように真剣に語りかけているのだ、ということを、その地味な、少しずつアングルが違うだけの、壁一面に貼られた200枚の素描が教えてくれたのでした。信念、あるいは執念という言葉が本当にピッタリでした。不謹慎かどうかはなんて全くどうでもいいことでした。
ピカソは確かに時代の寵児です。その後、改装したばかりのパリのピカソ美術館へも行きました。絵画だけではありません。工作にも生活にも彼の鋭さ、優れた感性、そして世界への愛を感じました。激情家で恋多く、頭が良くて自分勝手だ、と言われているのを聞いたことがありますが、そうやって生きて生み出したものが今日ここに残っているものであるのなら、それはそれでよいですよね。人間って、私たちの目に映るだけがその人ではありません。深い尊敬以外残らないように思います。「うまくてきれい」、というものが、芸術の世界では大きな意味を持てないことを、まざまざと教えてくれた芸術家です。ミロやカンデンスキー、ダリ、マグリット、今日見た京都文化博文館の若い芸術家の作品群も、今は私もモダンアートに深い愛を感じにはいられません。
ただ時代は変わり、例えば京都文化博物館で見た作品の多くは、現在京都で名のある芸術家の皆さんの作品群で、パン代を削っても絵を描くための紙が買えない、という逸話ばかりが多い、私に平安をくれる絵の多くを描いてくれた印象画前後の多くの芸術家たちとは、芸術に向き合う姿は同じかもしれないですが、生き方も見ているものも違います。
それに京都という土地柄、古いものを活かす。さらに昇華する、転生させる、という試みも、どっしり感じました。
知的に面白く、そして技巧にあふれた作品群で、明るい気持ちになりました。
別館で、118の除夜の鐘、という作品も体験してきました。この体験がまた実に、モダンアートでした!
昨年は除夜の鐘を聞くことができませんでしたので、本日10余分に多くの煩悩を滅することができたと信じます。(それに前に並んでいた方に親切にしていただきました。ありがとうございました。)
街の中?
そうですねぇ、博物館がある京都の三条は繁華街ですから、お店は割と開いていましたし、人手もありましたが、カフェとかはガラガラでした。私も今日は出かけた時間が遅かったのと、雨で薄暗かったので、ゆっくりせずに帰宅しました。電車も空席が目立つ車内でした。コロナ、みな、頑張ってます。でも外に出ると、少し閉塞感も和らいで、若い人たちや芸術家のみなさんと間接的に交流できて、出かけてよかったと思いました。
タイトルのMAは ‘Modern Art’です。あこがれのMoMA: Museum of Modern Artに乗っかってみました。MoMaって何?と聞いていたころの私がびっくりするでしょうね。