フランスの美しい浮浪者

Paris_France

記憶に残る一つの大事な一期一会のお話をします。

日本では、実は浮浪者の方とお話したことがありません。issueを購入したことがあるくらいです。

でもフランスに滞在していたころは、メトロでもRERでも、ともかくあちこちでよく見かけました。声をかけてくるので、言葉を交わすこともあります。彼の国で移民となることの厳しさを感じずにはいられませんでした。

そんなフランスで、心に残る出会いをいくつもしました。その一つが名も知らぬ浮浪者のお爺さん。

’浮浪者’といういい方は良くないですね。ただ、風来坊でもなく、ホームレスかはわからず、ということでどうぞご容赦ください。

フランスの人はこだわりが強くて、めんどくさい、と思うときがありますが、それを補って、誇り高くて優しい、というのが私のフランス人の総評(国民性としてですよ)

そんな尊敬すべきフランス人との出会いの一つです。

あの年は晴れの日の多い冬でした。ヨーロッパの冬は暗く長い、といいますが、私の訪れた冬のヨーロッパは、どの時も青空と光があったように記憶しています。不思議ですね。

12月のある日、ダウンを着こんで、サン ミシェルから高級なサンジェルマン通りを半分物見遊山で歩いていた私の前を、一人のお爺さんが歩いていました。

コートなし、だぶだぶのグレーのシャツ(おそらく元は水色)に、オーバーオールのズボンをはいていましたがお爺さんのズボンのサイドは裂けていて、その破れ目を筋張った手で抑えながら歩いているのでした。

足取りはしっかりして、寒さなど感じていないかのよう。

でもそんなはずない。

なんせ私はダウンを着ているのです。ズボンも破れているし、すごく気になりました。

でも前をただ歩いているだけの方です。私以外気にしている人もいないし、お爺さんも周りの人なんかには目もくれていない。

長いおひげと長い髪のお爺さん。痩せたお爺さん。

記憶も定かでないですが、怪しくも、背後をずっと歩いてしまっていたように思います。一回は、いやもういいか、と帰りの電車に乗ろうとした後、やっぱり気になって戻ったりしているので、お爺さんは怪しいアジア人に付けられている、と感じていたかもしれません。

晴れていた空は曇り、あまつさえ小雨が降り始めて、信号で、3歩前で止まったお爺さんに、ようやく声を掛けました。

振り返ったお爺さんに「せめてもの」という気持ちで、安い洋服屋さんでも、ともかくズボンが買えそうな紙幣(サジェルマンじゃとても無理です、高すぎて)を差し出しました。

お爺さんは一瞬私を見て、そしておもむろに、シャンっと背筋を伸ばして、片手を空にまっすぐ挙げて、何かを宣誓するかのように朗々と語りだしました。

その姿、まさに威風堂々。

とはいえ、知らない人に声をかけ、紙幣差し出すという非日常にいたうえ、フランス語があまりわからなかった私は一瞬唖然とし、その戸惑いを感じ取ったのでしょうか。

そのあとすぐにお爺さんは腕を下ろして、ただ静かに「いいんだ、いらないんだよ」と私の差し出した紙幣を断わりました。

それだけの出会いです。信号は青に変わり、お爺さんはたくさんの人と車の中に立ち去っていきました。

でも、そのお爺さんの、朗々と宣誓する姿が、今でも心にまるで後輪を持つ人に出会ったかのように胸に残っています。

そのぴんと伸ばした背筋と、朗詠と、そのくせ小娘が傷つかないように最後に数言優しく言葉をくれた、そのすべてに潔さと思いやりがあった気がするのです。

私は、10代から20代の頃、浮浪者という人に初めて出会い、浮浪者の人たちを違う世界にいるように感じていたころがありました。そして、その頃の私にとって、相手がだれでどれだけ困っていようとも、お金を渡したりするのは、自分が偉いような、人を見下してしまっているかのような、そこはかとない怖さがある、人との交流の仕方でした。

お爺さんと出会った頃も、まだ片足はそこに入ったままの小娘でしたが、その頃は、親が守ってくれていた世界の外に出て、経済的にはやや厳しい若者で、そんな中で世界をうろうろするうちに、’貧しい人たち’つまり自分とは少し違う人たち、というカテゴリーで知らず見つめていた人たちと私なりに交流を重ね、大金は持ってなくても小銭でも、その時だけの援助でも、あげたいときにはあげればいいし、そうじゃないときはあげなければいい、というような、そんな交流を学びつつあった頃です。そこに上下関係はないし、その時自分が何かを持っていて、自身が困る程度でも困らない程度でも、その人に役立つと思うのならば、自分がしたいようにすればいい。それだけのことです。今はそう思いますけど、あの頃はまだ学びの過程だった。

私はそのお爺さんの、私よりずっと高位で高尚な魂を感じ、自分の形ない未熟さを、形のない偽善を、形のない無力さを、恥じるでもなく戸惑うでもなく、自身の大きさとして電撃のように理解しました。

彼らが同じ世界にいることだけでなく、尊敬すべき人であったり、失礼な人であったり、私の隣にいる着飾った人と何一つ変わらない、そのことを現実に教えてくれた先生です。本当に大切なことの一つを教えてくれました。

あの寒い日、あの寒々しい格好で、それからお爺さんは私の前から今度は背筋をしゃんと伸ばして立ち去っていきました。

もう何年もたってしまった。

あれから、政権が変わり、難民を迎え、Charlie Hebdo襲撃事件があり、コロナがあり、フランスは日々変遷を続けています。

彼はどうしているだろう。あの、芯のある魂を持った人は、その後どうなってしまったんだろう。

お爺さん、優しいことが貴方にたくさんあったように、願うことは無力だけど、それでも私に願わせてください。

貴方に会えたこと、感謝しています。ありがとう。困難の中でもそのようにありたいという、その姿をあなたは示してくれました。

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