出口がなくても平気

今日は昼過ぎまで雨でした。灰色の空と、雨の中サッカーの練習をするグラウンドの少年たちと、机に積まれた仕事を見ながら、なんでかふと思い出した、昔の話です。

研究者だった時、私にとって仕事は人生そのものでした。life is work, work is life, no problem!

日付が変わるころから夜中の2時の間くらいに帰って、翌朝9時に出勤していても、それは全く構いませんでした。休日も週末も祝日も実験や書き物に職場に行っていたものでした。家族もおらず友達も少なく辛いことも多かったですが、それが全く苦でなかったので、当時の私はその仕事が、やはり大好きだったのでしょう。

そんな私の研究生活に変化があるのが海外で滞在研究をしているときです。外国なのだから、当たり前、ということはないのですよ。仕事が同じなら生活は海外でも日本でもベースは一緒なのです。研究者という仕事でならば、言葉が通じようが通じまいが、へき地だろうが文明の地であろうが、どこでもすぐに順応できるくらい中は変わり映えないのです。そうではなくて、滞在者というので気にかけてくれる人が多く、ランチタイムは必ず友達や同僚と、コーヒータイムも良くしましたし、アフターファイブにスポーツだってやりました。それでも、朝の9時から20時まではモクモク仕事をしているので、「やっぱり日本人は勤勉だねー」といわれることが多く、日本にいるより楽で、しかも褒められる、というので、精神的にもすこぶる幸せでした。(日本と違って、17時半から18時には人っ子一人いなくなるのが海外の研究所です。)

そうはいっても実験ですので、ときどきは仕事が長引くときがあります。

これはフランスの研究所で短期滞在をしていた時のお話です。

教授の先生がラボメンバーと一緒にお茶タイムに連れて行ってくれたクレーパリー

初めて21時を過ぎた時のことです。帰ろうと思って建物を出てみたら、普段開きっぱなしの鉄扉にガッツリ鍵がかかっていたことがありました。

私はこれまでいろいろな研究所に行ったと思いますけど、外から入れないだけでなく内から出れなくなった、というのはフランスにいた時だけの経験です。

「大丈夫、裏にもドアあるもの」と、最初は余裕の気持ちで建物周辺の3つの出入り口を当たるも、その時まで知らなかったですが、塀は実にぐるりと2つの研究棟を囲んでいて、いやはや全部が固い鉄扉で、しかも施錠もされてました(これは警備員さんが毎日の仕事として行っていることが後に発覚)。この研究所、こんなにがちっと塀に囲まれていたんだ!という新鮮ながっかり感とともに、なんなら、と思って渡り廊下を通ってメインビルディングに移動するも状況は同じ。

こうなったら警備員さん(人間)に会わなくては、と思って一番大きな鉄扉の横にある警備員詰所に行ってみました。

窓に手をかけて覗き込むと、映画のように防犯カメラの映像が映るモニターがいくつか見えるものの、肝心の人がいない。つまり、全員見回り中。

なんてこったー

しばらく待ちました。しかし、あれだけ建物の中をウロチョロ出口を探して歩き回ったけれど3人の警備員さんの誰一人と出会わなかった、という事実にハタ、と気が付きました。もう遅い、電車も少ない、早く帰りたい。そういうわけで、警備員室の防犯カメラに手を振って鉄扉の横のフェンスに足をかけ、「30を超えて、塀を超えして職場から退場しなければならないとはー」と嘆きながら、えっちらおっちらフェンスを登って帰ったのでした。

ちなみにフェンスがあったのは警備員さんの詰所横だけで、他のところは超えたら飛び降りるのも怖い高い塀が真下とか、笑えない仕組みになっており、本当に中から外に出れない構造だったのには、あきれかえったものでした。しかも警備員さん、詰所にいないから!見回り待ってたら電車がアウトだから!

これ、6か月の滞在中に4,5回ありました。

2回くらいは警備員さんがいて、鉄扉の施錠をボタン解除してくれるんですが、こいつが施錠されてなくても、押しても引いても動かない扉で、詰所の窓からこっちを見る警備員さんにイライラされてしまうのでした。施錠解除されていても開かない扉!私じゃなくて扉が悪いの、怒らないで、と慌てふためくのでした。

警備員さんは、遅い時間に実験室とかで会うと、片言英語で話しかけてくれ、電気を消すのを忘れないよう念を押しつつ、大変やさしいのでした。まぁ夜の警備の仕事は退屈で大変ですよね。研究所に不審者とかそうそう出ませんしね。でも、詰所の窓から怒ってないで、扉開けるの手伝ってほしかった…。

一見開放的なフランスの研究所(宿舎付近)

あの鉄扉が研究所出入り口にすべてついているのかぁ。。。常識的には危険なものも確かにある研究所ですが、大学生も出入りしていてわりとオープンなイメージなのに、意外に警備が固い…。当時の日本は、週末も夜も大学内の建物でドアの施錠は全くなく、ひどく開放的でしたので、目を白黒させたものです。

そんなこんなで、どうやら、防犯カメラに手を振って帰っている日本人がいることは、やや噂になっていた模様です。(私の顔を見て、防犯カメラの映像を思い出した、というような反応があり、その後ひどく親切な人が数名おりまして、ついでに当時のボスに嘆かれました)

すっかり太って、すっかり体力も落ちちゃいましたが、おかげさまで今でもフェンスを登ることには自信があります。足場がない場合、塀は頭より高くなると、やや厳しいですかね…でも、あの時だって、フェンスを登る、という行為は小学生以降していなかったので多少緊張しましたが、飛び降りる時さえ気を付ければ登るのは簡単でした。

人生何でも経験です!

例えるなら何故か嬉し恥ずかしの気持ちになる思い出です。ふふ、自分の中では武勇伝なのかもです。雨の中サッカーする少年たちが、なぜだか当時の自分と重なるのでした。

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