最初の旅仲間
年の近い兄弟が二人います。
兄とは、長い間とても疎遠でした。私はせっせと旅をして不在も多かったですし、向こうは仕事。遠い町で全く知らない生活をしながら、お互いに連絡もほとんどとらず、資本主義社会にいまいち外れてふらふらしている私と、その社会に真っ向から挑む兄とは、話も合わずケンカばかりしていたので、そのうち里帰りをするときも時期をずらしてみたりして。でも運動会の朝に転んで、通学路から家まで、おんぶして連れて帰ってくれたことや、兄が大事にしていたカップを落として雷を落とされたこと、料理好きで時々作ってくれたカルボナーラスパゲティ、母に叱れて家を飛び出た兄を探しに行ったこと。もっと可愛い妹だったら、もっと違う関係が築けただろうな、という兄であろうとしてくれた兄だったので、しわしわになっても全く変わらず大威張りの、でもやはりお兄ちゃんな彼にお互い平静に会えるようになったのは、非常に喜ばしいことです。
一方、弟に対して、私は非常に大威張りの姉でした。私に対する兄よりひどいです。しかしこちらは弟の方が非常にのんびりした子で、お互いのんびりしわしわの手をハイタッチする仲です。ふふ。小学生の頃、後ろをついてくるあの子に「友達と遊ぶのだからついてこないで」と邪険にした姉でしたが、あの子は友達と遊んでいても、いつも私を仲間に入れてくれました。自分の狭量も、あの子の度量も、今更何も言いませんが、忘れたりはしないのです。素敵なお嫁さんをもらって、かわいい子供を授かり、そうした時の営みに、いつも快く迎え入れてくれた弟です。
仲が悪かろうと良かろうと、一家で旅をするときは、もちろん兄弟が良き旅仲間でした。
彼らは私の最初の旅仲間で、そして、ともに旅路を歩いた時の記憶は、いつも胸に在るのです。
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人生の初めての冒険に、アメリカの小学校に通っていた時に、スクールバスに乗らずに3人で歩いて帰った短い旅路があります。
同じスクールバスに乗るちっさな子供の一人が、やっぱりちっさな兄を、「ジャップ」と呼んで兄がバスを降りた日のことです。兄もちっさな時ですが、私は「人種差別」がこの世に存在するなんて知らないくらいもっとちびっ子でした。弟も然り。
しかし、一緒に帰るはずの兄がバスを降りたら、弟妹はついて降りるものでしょう。「お兄ちゃんケンカして歩いて帰るんだって。今日は3人で歩いて帰ろ」
いつものバス、いつもの道、大丈夫問題ない。と思いきや、方向音痴の私ですので、実は自分がどこを歩いているかはさっぱりわからなかったことを、こーんな年になっても覚えているんです。そんな私の兄弟ですが、兄も弟もミツバチのように確かな方向感覚を持っていました。えぇ、ちびっ子の時からですよ。兄の足取りは確かで、弟は私と一緒に歩いていましたが、やっぱり確信の表情で、一人だけ疑わしく思いつつもただついて歩いただけの私。
前を行く兄の背中を覚えています。隣を歩く弟の気配を覚えています。
途中で兄が知らない人に話しかけられた時のドキドキも覚えています。
「なんて聞かれたの?」「時間聞かれた」(お兄ちゃんこたえられたんだ、すごーい!)
そのうち緑が多くなって、いつも遊ぶ公園のアスレチックパークが出てきて、弟が「ここはアムステッドパークの裏だよ」、私「そうなの?」、兄は無言で首肯。無事に帰りつきました。
短い旅路ですが、アメリカについて間もない頃のことで、言葉もわからなかった頃のことです。今でも忘れない、人生初の冒険でした。
事情を知った母にこっぴどく叱れたような、叱られなかったような。スクールバスより余分に2時間かかって帰宅していました。
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寒い冬の日にアムステッドパークの小川の氷が1m以上も凍って、野球のバットで川の氷をたたきながら氷の上を歩いていたら、バットをもって先頭を行く兄だけが氷が割れて濡れたこと。名前を呼ぶといつも駆け付けてくれる弟が犬にかまれたときに、びっくりして見ているだけしかできなかったこと。
大人になる間にだんだん疎遠になってしまうのは自然だと思います。でも、もし皆さんに兄弟、姉妹がいるなら心配しないでください。う~んと年を取ると、また時々集まったり、時にはまた一緒に旅をするようになります、きっと。寄る年波か、年寄りの知恵の賜物か。
人生の最初の旅の導き手が親だとしたら、兄弟は人生の最初の旅仲間です。そして彼らは間違いなく私を育ててくれた素晴らしい旅仲間でした。
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34の頃に、小さかった私をかわいがってくださったY夫妻が、アムステッドパーク探しに付き合ってくださいました。「大きな公園なの」という私に、一生懸命地図を見てノースキャロライナの同名の立派な自然公園に連れて行ってくれたサエキ(奥様)。でも公園は違って…。そのあと昔住んでいたアパートに連れて行ってくれて、アパートに行く角にあった地図に名前も載らないような小さな公園が、あんなに広くて大きかったアムステッドパークだった驚き。当時、四半世紀以上も前の記憶のままに歩いて、何一つ変わらないのに、すべてが小さくて、すべてがすぐそこで、とても不思議な気持ちなったものでした。いい年になった大人が子供だった頃の記憶と寸分違わぬ姿を残す、都市開発をとっくに終えて変わらないアメリカの驚異…
Y夫妻に心から感謝を伝えたい。
「今頃になって」と、自身を顧みて、時を戻せないことを辛く思うことが多くなりました。優しかったあの人たちがどこかでそのことを感じて、「おバカさんね」と笑ってくれているといいな、と願ってしまいます。