友達のおにぎり
私は一つ、忘れられないおにぎりがあります。
おにぎりって、日本で暮らせば、多くの人が、多かれ少なかれ食べたことのある食べ物です。運動会でお弁当に入っていた俵おにぎり、炊き立てご飯で握ったつやつやのおにぎり。母の作ってくれたおにぎりはもちろん、決して忘れはしません。
でももう一つ。私の忘れられないおにぎりには、日本の大学で修士号、博士号を取ったブラジル人の友達が、アメリカで握ってくれたおにぎりがあります。旦那さんは日系ブラジル人、奥さんはおじいさまがイタリア人という美男美女カップルに、いたずら盛りのそろそろ2歳になろうかという息子さんのいるご一家でした。
(長い前置きのある話)
アメリカに研究で4か月滞在していた頃のことです。4か月、プロジェクトが進みだしてからは、朝の8時から夜の8時まで実験室にいて、家に帰れば次の日の作業に必要なコットンボールを夜中までまでモクモク作り、土日も実験室と、プロジェクトを終わらせるためにギリギリの滞在期間をせっせと働いていた時期でした。
渡米して2週間くらいしたころでした。プロジェクトも手探りながらできることが見えてきて、その立ち上げ作業を手伝ってくださっていた、滞在中の生活について頼るように、と言われていた日本人女性に、私が来たことがどんなに迷惑であるか、私のプロジェクトに関わるのがどんなに迷惑か、ヒステリックに叫ばれてしまったことがありました。そのプロジェクトは確かに私のプロジェクトで、彼女は忙しいところに私の世話が期間限定とはいえ短くはない期間、降ってきたことで限界だったのだと思います。仲良くしていただいていると思っていたので落ち込みました。そうしたら、その晩から唇がじんじんと痛み出して、翌朝に炎症が爆発したように口の中が爛れてしまったことがあったのです。
爛れた口は、日を追うごとにひどくなる一方でした。しかもどんどん痛みが増していきました。
まるで口の中に焼けた鉄の棒を常に突っ込まれているような痛みでした。
まず研究所の付属保健室に行きました。そしたら受付のお兄さん、「ここで見てあげられるのは学生だけなんだ。研究者は病院に行ってくれ」
忙しいとはいえ、背に腹は代えられません。病院を調べました。でも、とても歩いていける距離ではありませんでした。アメリカは車社会ですものね。4か月だけの滞在で、自転車も持っていませんでした。
しかたないのでネットで症状を検索しました。どうやら、常在菌のカビに由来する舌炎、というのが私自身の診断です。
さて、時間はない、車はない、焼けた鉄を常に突っ込まれているように痛くても、症状は「口内炎」で、研究室の人も気にはしてくれても病院に連れて行こうとは思わないし、お世話担当の彼女が怖い。
では、自力で治すしかない(ともかく現役の微生物学者でした)。
培地に入れたら微生物の生育が阻害されて、生体(私)にもそこそこ安全なもので、何とかするしかありません。というわけで、近くはないスーパーにてくてく歩いて買い物に行きました。塩とはちみつ。
驚いてください、1か月かかりましたが、効きました。はちみつは炎症が広がって爛れた口の周りにぬりました。塩は特に痛いところを重点的に舌に直に乗せました。痛かったですが、翌日少し良くなっているので、やめるわけにはいきません。日中は実験でそれどころでなかったですし、毎晩、毎朝やりました。
ちょっと面白かったのは、人工の塩は効果がなかったことです。海水の天日乾燥のミネラル塩だけが、この炎症には効きました。
はちみつもいいものを探しましたが、こちらは選択肢が意外に少なかったです。売りもののはちみつはそもそも瓶が大きすぎて。ただ、水あめでも保湿効果があるからか、どれでも割と聞きました。でもこちらも一番効果が高かったのは、ブラジル有機栽培の植物から蜜を取った蜂が作ったはちみつでした(緑の小っちゃいパッケージ)。
口の爛れはひどくなる一方で、しかも口内から広がって口の周囲がじくじくしだしたので、これは一体どういう広がり方をするんだろう、と興味深くもありました。いずれにしても菌糸は確認できませんでしたし、もしかしたら細菌性だったのかもしれません。
で、そうこうするうちに、自腹学会に行く機会があり、塩とはちみつをもってカナダへ一週間、ちゃんと発表もしました。学会には学会でしか会えない友達がいます。その時は青い海の似合う研究者ocean leady(海の淑女)と再会したのですが、彼女が情熱の赤の似合うパトリシアと話して、学会会場近くの薬局へ連れて行ってくれました。
しかし、
薬局の兄さんに、口をパカっと開けて「これに効く薬下さい」と言ったら、一応痛ましそうな顔はしてくれたものの「そんなになったら薬屋じゃないよ。病院に行ってくれないと。どの薬が効くかなんてわからないよ」
実りなく帰米。再び12時間実験と内職(夜なべのコットンボール作成)が始まって落ち着いたころ、一番遠いスーパーの横にも薬局があるのを発見しました。カナダですげなくされてしまいましたが、行ってみました。アメリカの薬局のお兄さんの方が、まだ親身になってくれました。まず口内であるため使いにくくはあったものの、塗り薬の痛み止めを出してくれました(調べたら成分は塗付用麻酔でした。したがって塗っても治りはしない)。そして「毎日塩水でうがいするんだ」とアドバイスもくれました。
塩と蜂蜜の治療は間違っていなかったんだ、と塩水のうがいなんて生ぬるいことはせずに、舌に塩の直か置きをしていた私は安心したものです。今も思いますけど、あまりにひどかったので、塩水のうがいでは治るには至らなかったと思います。
さて、飲み物も痛い、食べ物も痛いということで、毎日常温の水を飲み、白くてもさもさしたパンだけを食べ続けて、体重が3キロ増えたころ(悲劇!)、そうですね、荒療治を初めてだいたい2か月たってようやく、幻の真っ赤な鉄の棒は少なくとも赤く焼けた棒ではなく、鈍い針の剣山くらいになったのでした。そんな頃、新メンバーとしてやってきたのが、おにぎり一家、こと、ブラジル人夫妻のご一家でした。
陽だまりの似合う家族でした。
きっとウマが合ったのですね。最後の一か月その家族のおかげで、本当に楽しい滞在になりました。当時2歳になったばかりの坊やもとてもなついてくれて。
その夫婦が、引っ越してきたばかりでまだまだ足りないものばかりの台所を工夫して、夕食に招いてくれて出してくれたのが、高級スーパーで買ってくれた海苔を巻いた、まぁるいおにぎりと、ブラジル野菜の名物料理。(二人は私の舌炎のことを知りませんでした)
おにぎり、登場です。
旦那さんは日系ブラジル人でしたが、二人はブラジル育ちの生粋のブラジル人。日本に留学していた頃におにぎりを覚えたそうです。
「僕らが握ったんだ」と自慢げに言って、ぱくりと食いついた大きな海苔が贅沢に撒かれたおにぎり。ふと、旦那さんが変な顔をしました。
「あれ」
奥さんもパクリ。
「まぁ、塩を入れ忘れてるわ!」
二人は困った顔をしていましたけれど、「おいし~い」といったのは私。心から。
実はその時私は、塩の荒療治のやり過ぎか、舌の痛みはなくなっていたものの、塩味を感じなくなっていました。カビで味蕾はすっかり死に、塩も決して細胞に優しい物質ではないですから、仕方ありません。ちなみに、不思議に甘味の味蕾は生きていました。
なので、私が感じたのは、おにぎりに巻く前にきちんと火であぶってくれた海苔の磯の香、白米の優しい甘さです。常温の水と白いもさもさしたパンを2か月食べ続けた後のごちそうでした。ブラジル野菜の野菜料理もおいしかった!暖かさと、優しさと、その晩から楽しく変わった私のアメリカ生活と相まって、その、まぁるく握られたおにぎりの磯の香りは、今でもおにぎりを食べる時、胸にふわっと香るような気がします。
鮮やかなピンクの蓮に、ひらひら舞うちょうちょに手を伸ばす坊や。坊やを抱っこする奥さんの笑顔と闊達さ、進んで家事も育児もする愛妻家かつ子煩悩の旦那さんの落ち着いた佇まい。新しい国に仕事に来て、不安もあったと思うのに、一緒にいると本当に安心した気持になれて、一緒に悪ふざけしたり、下手くそな料理をもっていったりした家族です。言い添えますと、奥さんは少しだけ上、旦那さんは同い年でした。
滞在3か月目に入って、ようやくプロジェクトの終わりに目星もついてきた私は、その頃研究室で一番彼らの近所の宿舎におり、週末などは時間が取れるようになっていました。週末は土日も入れて8回しかなかったけれど、彼らがいたから、小さい頃を過ごした、あの国の、あの町の近くで、夢中で働いた4か月は、とても穏やかな記憶となって残っています。
そういえば、海外旅行保険、ちゃんと申し込んでいたけれど、全く何の役にも立たなかった、という一例でもあります。。。とほほ。