(本)沈黙

私の周りには、遠藤周作さんの本といえば「海と毒薬」を読んでいる方はたくさんいましたが、「沈黙」を読んでいる方はあまりいませんでした。

私はどうして読んだのだったかしら。その本はただ家にあったような気がします。

隠れキリシタン弾圧の物語です。「神仏習合」や「隣国の神様」に代表されるように宗教では割と健やかな土壌を持つ日本というこの国で、宗教的な困難として筆頭に挙げられるのが、この弾圧ではないでしょうか。神の下に人は平等という考え方が統治の邪魔であったというのが理由ですが、キリスト教のもとで発展した西欧国々には、明瞭な階級社会があったことを考えると、理由はほかにありそうです。

この本を語るのは難しい。

とても難しいので、最後のところだけ、今日は語りたく思います。

踏み絵を拒否して拒否して拒否して、とうとう最後に踏み絵を踏んだ主人公は、踏み絵を踏んでも変わらず神様がそこにいることを知って涙を流します。その沈黙の深さ、その沈黙の容赦のなさ、けれど変わりなくそこにいて、一緒に苦しんでいる神様。それまでただ私たちには見えず聴こえなかっただけ。

昔、キリスト教徒の友人にどうしてキリスト教徒なのか聞いたことがあります。大体の人は生まれた時からキリスト教徒なので、そういう質問をされると考えこむようです。「奇跡があるよ」と言われたことがありますが、でも、奇跡は起きないから「奇跡」でしょう(とはいえ、これは無宗教の人への勧誘の言葉だったと思われます)。罪無い赤子が亡くなっても、障害がある子が生まれても、愛ゆえに親が深く悲しんでも、何も起きない。断末魔の苦しみにあってその声を聴く人もいるけれど、私たちには見えず聴こえない。「幸福の王子」でもそうですが、王子が容赦なく打ちすえられる姿を神様は知っていて、そしてそれはそのまま、最後に天使に命じてその魂を御許に持ってこさせるのです。家族に由来する事情がない場合、私の知る限りすべての人が、大体「愛する人」「尊敬する人」とのつながりからその宗教に入っています。人は人との交流を通して神様を見つけるのではないでしょうか。

本が伝えるメッセージは、神様という存在を信じる人のすべてに通じる真実だと思います。

世界3大宗教と呼ばれるキリスト教、イスラム教、仏教には共通する理念があります。「人を救うこと」

子供の頃、特に幸福の王子を読んでからは、私は神様は可哀そうだと思っていました。数十億という人から毎日寄せられる嘆願と祈り。すべてを見守っていなければいけないなんて本当に大変。戦争も犯罪も苦しいことは世界にたくさんありすぎて、神様はボロボロになってしまうと思いました。神様の幸せを祈る人が必要だと思いました。それから世界から苦しみが少しでも減れば、神様は笑うようになるのかしら、と。犯罪者と呼ばれる人たちもただの同じ人間なんだ、ということが理解できるようになってから余計に。

小さな時に想ったことです。けれど、今でも時々私は首をかしげてそういうことを考えます。

日の本の神様は、人とははっきりと異なる存在です。八百万の神は気まぐれで強い。オリュンポスの神々も北欧の神々もエジプトの神々もヒンズーの神様も。チェス盤の上で人の人生を遊んでしまう神様もいます。

そういう神様もいいな、と思いました。神様は苦しくなさそうだから。(遊ばれたら迷惑だけど。)

そのうち年を取るとやっぱり、私を救おうと思ってくれる神様が欲しくなりました。でも私にはやっぱり見えず聴こえない。私は沈黙しかまだ見つけられません。かわりに、晴れた空の光や、めぐる季節の中で移ろう木々や風の中に、神様を感じるようになりました。慕わしい神様、優しい神様です。ただそこにいてくれる。だから私もそれ以上のことは求めないように、精いっぱい自分で頑張ろうと、思うようになりました。

上手くいかないけれど、人に親切にすることも、誰かと仲良くなることも、信頼関係を気付くことも。

浄土真宗には「善人成仏す、いわんや悪人をや」という言葉があるのですけど、そういう教えには、ほっとします。

死んでまで苦しむのは嫌だから、無宗教の私もそういう教えのどっかに引っかかるといいなぁ、と思います。

でも善悪ってなんでしょう。聖人は命の光の強かった人たちだと思うのです。人が人をさばくことは決してできない。刻印を押すこともできない。命は命です。毎日無数に生まれ無数に失われている。誰もバクテリアに善悪を説かないでしょう。虫は決して噓をつきませんでしたよ。だから、どのようにでも毎日を大切に生きてほしいです。そしたら神様が迎えてくれるんじゃないかしら。そうだといいな。

でも生きるって大変なので、そう思っても、毎日途方にくれてしまう心持です。だからみんな自分の神様を探すのでしょうね。それぞれが自分だけの優しい神様を見つけることができれば世界は平和になるのでしょうか。人は、愛する誰かを見つける方が、世界は平和になるような気がします。人は人の中に神様を見つけると思うから。

「沈黙」を描き上げた遠藤周作氏の精神力に感服いたします。

今日は少し肌寒くて、それからケヤキや桜が新緑を活き活きと伸ばしていました。晩に家族と電話で話せて嬉しかったです。

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