調和と律についての入門者覚書

遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ (359)

ふと耳にした唄にひかれてこの歌について知ろうと梁塵秘抄に関連する本を数冊読みました。

この唄そのものと関係あるのか、というとそういうわけでもないような、けれど今後一層年を重ねる中で今の自身の解釈がどのように形を変えていくのか気になるいくつもの詞がなにやら心とらえたので覚書を残そうと思い立ちました。梁塵秘抄と言えば後白河法皇が編纂した今様集です。図書館で「梁塵秘抄」で検索すると、日本の伝統音楽に関する著書がいくつも顔を出してその中から適当に本を読んだ後の覚書です。

梁塵秘抄をかじるにあたって顔を出してきたのが日本の中世の音楽、あるいは古典の音楽。1180年ごろに編纂された梁塵秘抄は、今でこそ格式ある伝統音楽の地位を築いていますが、それよりずっと以前は民の謡です。しかし、万葉集や古今和歌集にはない、我が国における音律ある唄の礎の一つであることは正しそう。音律そのものに関しては、もっと古くからもちろん楽器が奏でる音楽があります。日本では中国から伝わったものがまずは宮中に伝わっています。これはさもありなん。漢語の時代ですものね。横笛、琴と音律を確立させていった印象です。

この音’律’というのがひどく面白いのです。

中国音楽の古典に「論語」が含まれると聞けば、私は驚きます。驚きましたがどうやらこれは確かな話のよう。論語と言えば、「15にして学を志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る…」という、現代社会においても全く色あせないフレーズが有名ですが、道徳書というのが安直な私自身の理解でした。そしてさらに読み進めて思いがけず愉快な気持ちになったのが、これはこれで正しいということ。

音楽は心から生じます。アフリカの大地の歌、原始の踊り、リズム、そこには生の躍動があります。しかしこれは音楽ではない、というのがその大変面白かった論説の指摘。「律」がないからです。心のままに奏でられる音楽は、美しく心を震わせるものであり、時に霊験さえも宿るけれども、これは甘く美しい誘惑のように、人を魅いる激情のように、美しいけれども清いとは限らない。制御を失い「邪」に変わることもあるものだそうです。心のままに声を上げたり音を出したりすることは、心を上向かせるけれど、他人の耳に心地よいとは限りません。それを「邪」と指摘されるとそのような気もます。音楽を心を清め、平穏を与え、人を導くためのものにするために必要なものが「律」であると、そのように語る論説でした。

で、あれば、道徳を説く論語は確かに「律」に準じます。ここでいう律は調和ではないでしょうか。その調和は、天と地の調和ではなく、人の世を支える調和です。社会形成の中で自然に学ぶ他人を思いやる心、あるいは思いやれない人ともその社会の中でうまくやっていくための技術、それが自らを律することで得られるものだと思うのです。音楽を形成する中で、「律」の正当性がどのように決められたのかまで想像すれば、所詮は人の世のことで、正しいものなどないだろうと思うけれども、「律」の形成には、すくなくとも1000年以上の時間を有しており、そのように磨かれて現代に残ってきたものだから、あるいは各時代で一生を賭してそれを見出すために尽力した人の遺産だから、音楽の音律は確かに調和なのだろうと思える気がするのです。

「律」は「法律」の律であり、「自律」の律であり、「音律」の律であり、そのすべてで、正しく同じ意味を成してそこに在るのです。

面白いですねぇ。これぞ文化って感じです。私たち人類って面白い。

私は若いころ仏教系の学校で学んでいた関係で、「自律」については10代のころに何人ものすぐれた師に話を聴く機会に恵まれましたが、「自律」は確かに人間としての尊厳を保つために必要なのです。少なくとも私はそう思っています。

学校や職場など、ある人が同じ社会に属していた時には作動する「自律」は、その人がその社会を離れたとたんに私たち自身の中で醜く崩れ、不和を恐れずに攻撃的に発露することもあるのです。その時崩れるのは、私たち自身の心が育てた「自律」ではなくて、その社会にあるための技術の一つとして作動していた「自律」なのです。つまりそれは保身もかねて心に働きかけていた「規律」です。自身のその社会における調和を保つための規律であり自律であったわけです。人間としての尊厳を保つために必要なの心を律する方の自律、ここで暴発しないよう自身を抑えることのできる自律です。そして、規律に従い自律を失わないために音律が果たす役割は大きい。なるほど、それは心のままに放たれるものではありません。

なるほど、そして楽の基礎に論語があるわけです。

面白いなぁ。音楽に調和を求める概念は古今東西あると思います。西洋でも、宗教音楽にも宮廷音楽にもハーモニーがあります。和楽のハーモニーは西洋のそれとは違いますが「律」という形でそこに在るわけです。論語が紀元前500年ごろに残されたことを考えると、中国4000年の歴史として、今が2000年なので、1500年の時間をかけて築かれた概念です。すごいとしか言いようがありません。すごいことの一番は、心のままに感ずることに確かな「邪」を論理的に導き出していること。音楽=良いもの、という概念にどっぷりはまっていたこともあって目からうろこが落ちました。

後世になると、天皇が自身で音楽を奏でることはぐっと減る、というような記述があり、これはなぜかというと音律が生む「清きもの」を編み上げて結界を形成し邪からその身を守るために、その場を満たす音楽にほころびがあることは許されないから。名器は完璧な調音をされた状態で、音を出すことなく法器として天子の傍にあることでその結界を維持し、楽師たちは結界を乱さない完ぺきな音律をもって宮中で楽をかき鳴らすのです。心のままに自身の音を放つことができなかった、それは人としては苦しかったのではないかと、楽器を見れば音を出してみたくなる私のような俗人は思ってしまったりもします。この概念で行くと、後白河法皇という人が編纂したから、梁塵秘抄は日本の音楽の礎の一つとなった気がします。宮廷という調和を尊ぶ社会にあって、今様という自由で心に寄り添った唄に「律」が加わったように思うのです。当然ながら、白拍子、遊び女の歌う今様を、音律とみなさない、格下のものとさげすんだ時代もあったわけですから、心のままに歌う今様を宮中に召し上げたとこにより、律が加わって体系化されていったのではないかと。

けれど、では遊びとは何か。遊びというのはそもそもお隠れになった神様を、私たち人の傍へ呼び戻すための舞であり唄であったのです。こんなに楽しいですよ、戻ってきてください、という祈りであったということです。その神様はきっと心のままに泣き笑う人々も、和を尊び自らを律する人々も等しく愛してくださるのでしょう。多くの社会で宗教や政治、音楽にあるハーモニー(律)を、道徳に帰しているって、すごく奥深い文化だと思いました。そのうち論語も読み返したいです。というか、四書を読んでみたくなってきました。

そうはいっても人間は混沌としたものだから、「律」のない音楽も美しいと思います。心で感じ、自由に羽ばたく、それに惹かれる心は大きい。そういう音楽もきっとずっと好きなままです。心から生じるものには力がありますもの。律された尊いものとは異なる力です。その美しさを否定はできない。また俗人であるのだから否定する必要もない。ただ、こうした格調高い文化的論理・概念に触れることができた偶然を嬉しく思いました。

「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん …」こういうふうに生きていきたいなぁ、心惹かれてやった調べものでしたが、これは童を謡ったもの、少年になるころには「舞へ舞へかたつぶり 舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴(く)ゑさせてん、踏み破(や)らせてん まことに美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん」こっちかも。そして、大人になれば我々は自律の心持って他者を思いやりながら、それなできないときはせめて傷つけないように調和を尊び生きていくのだと、梁塵秘抄について調べながら思ったのでした。

人であろうとすることは、尊くしんどいことなのだ、というのが、今回の覚書です。

クリームパンにささやかれた「無駄こそ人生」を座右の銘としてしがみついている自身をやや反省する知識に触れた秋の日でした。

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