(雑文)千慮一得を願って
25分は長いけれど、ぜひ最後まで見てほしい、一昨日のライブニュースを紹介したい。
香港についてコロナのニュース以外が出てこない中で、このライブ討論会をみたことは、慰められる想いがあった。
あのころ立ち上がった香港の若者たちの願いは、シャルリーエブドの事件にバスティーユに集った400万人のフランス人や、そのとき声を上げたすべての人たちの願いにひどく近いものだと思う。
合法に行われたこの出来事について、国際社会から結局のところ何が成されたようにも見えないし、国際社会はそれが合法的である以上手を出すことはその他の局面を考えたらすべきでないのかもしれず、単に政治という魔物を飼っている人間社会の限界なのかもしれないけれども、人々が声を伝えることのできない社会、できない政治、ということについて、僕らはもっと考えないといけないと思うんだ。それが実際世界に存在しているということにについて。
何故ってこれは、古来王権社会でも、市政の声を拾う政治が善政といわれたように、ある程度すべての社会に共通する人々の願いだ。
内政不干渉は結構だ。人が人を裁くことは、多くの場合において、正義のためでなく社会のためで、正義は人の数だけ、社会は社会の数だけの在り方があり、とても繊細なものだから。
それに、僕は中国の友人の優しさや賢さに感嘆し、その公平さに胸を打たれ、その国に対しても歴史や文化に敬意と親愛を持っている。
例えば、沖縄が日本に返還されたときに、沖縄の人が「嫌だアメリカの統治下のままがいい」、と声を上げていたら、と思うと、実に日本政府が起こしたであろう行動にも嫌な予感しかないし、「基地反対」に対する行動を見る限り、その嫌な予感は当たるだろうし。。。
でも、繰り返すけれど、香港の、この人たちの願いは、普通の願いだ。僕たち多くの願いと一緒のものだ。
忘れることも無視することもすべきでなく、僕自身、決して忘れないし、ずっと考え続けたい。
この討論は、イギリス系の若いジャーナリストの女性二人が、若い男性と年配の男性の二人を迎えて展開する。若い男性は香港の自由をあきらめたくないという立場で、年配の男性は現実を受け入れて前向きに対応していくべきだという立場で、そして中立的な人がいるといっても大まかな意見は3:1に分かれているので、討論の流れは最初から決まっていたもので実際にはそんなに単純ではない、このことも念頭に置いて、それでもぜひこの討論をより多くの人に聴いておいてほしいと思った。
香港が中国に返還されたころ、僕には香港に家族持つ香港人の知人が身近にいて、僕らは語り合ったけれど、僕はとても無力で。
僕は何もしなかった。僕は見ていただけだった。でも立ち上がった若者たちに手を差し伸べることもできず、彼らがどうなってしまったのかニュースでも取り上げられることがなくなってしまった合法的世界については、せめて考え続けたい。
新聞で、刑期を終えて出てきたデモ隊リーダーの一人だった女の子について取り上げている記事を一度だけ読んだことがある。彼女の恐怖と絶望について、彼女の沈黙が語る記事だった。懸命で力強かった彼女の声は、獄中生活を経て、失われた。
立ち上がることが勇気であるとも感じなかったであろう程、当たり前に約束されていた声を上げるという権利を、すでに持っていなかったのだと暴力的に教えられ、防衛のために火器を用いざるを得ず、心も体も打ちのめされた若者たちがいたこと。意見を言うことは、政治よりも何よりもまず人としての権利ではないのかという驚きがあったろう。世界のそこここにある理不尽の一つがあれほど派手に火を噴いて、妥協もなく、話し合いもなかった。本当に何も為さなかった社会がある。
彼らがしたことを決して無為なものとは思わない、といつか出会うことがあれば伝えたいんだ。
それならここにも載せたらよい、とミオさんが言ってくれたので場をお借りした次第である。