(cafe&甘味) 寒天発祥の地
寒天を「寒天」と命名した人、隠元禅師。
黄檗宗総本山萬福寺の和尚さんです。インゲン豆を日本にもたらした方です。
ご縁があって住んだ宇治では平等院が世界遺産で、訪ねてきてくれた人が行きたがるのは平等院ばかりで萬福寺は行きたい場所のリストでも下の方であることが多かったですが、私が宇治で一番好きなお寺は萬福寺。今のところ京都一好きです。
インゲン豆のゆかりの地でもある、と思うと一層素敵だと思っていました。海を渡って日本に来るとき、持って来ようと思ったものの中に経典などもあったのかもしれないですが、隠元豆があったなんて、お茶目と思いませんか。市井の生活のことも考慮していた姿も浮かびます。いろいろ持ってきたのか、隠元豆だけ持ってきたのか存じませんが、お名前がお豆に残って、ふつうは読まない経典に残るより味がありますし、そうと知らず親しみをもって名を呼んでいることも慕わしさの理由の一つかもしれません。
その隠元禅師ですが、郷里に近い九州の長崎で、初めて日本の土を踏みました。このことはあまり知られていないよう。長崎にはびっくりするくらい黄檗宗のお寺があります。私は長崎を知るまで黄檗宗という日本三禅宗の宗派を宇治以外では見たことも聞いたこともありませんでした。無知と言ってしまえばそれまでですが、意外と身近だったんですね。
さて、寒天の話に戻ります。
東京上野、みはしの豆カンが大好きだという記事を以前書きましたが、寒天が東京と京都で違うようだ、と書いていました。
これは京都の人に聞くと、なるほど、と皆納得していたのですが、京都寒天は柔らかいのですよね。何やら独特の歯ごたえというか食感のある東京の寒天はどうやってあの固さを出しているのか、自分でも何パターンか試しましたが、スーパーに並ぶ寒天にも複数あります(和菓子用は一般に糸寒天)し、水に入れる濃度を変えても食感は変わり、さっぱり分からないままです。
そうこうする今日この頃。
京都の寒天に変化が!(しかも私の好みに)
きっかけは、出町柳の甘味屋さん(おぜんざいやあんみつ)、いせはんさんに行ったとき。
こちらのあんこは、さすがのプロで粒がきれいの残っていますが味は優しい家庭のお味。以前行ったとき、寒天は京都ならではのやや柔らかい寒天だったと思うのですが、今回リニューアルオープンしたいせはんさんの寒天は、あの絶妙な食感のあった江戸寒天にとても近い。
しかも、わらび餅に加えてゼリー形状のものが3つ入ってて、三つとも原料が違う!一つは寒天、一つはゼラチンとしましょう。しかしもう一つは何かしら。アガー?くず粉?これは芸が細かいです。
いせはんさん、出町ふたばの豆大福の向かいです。豆大福購入は長い行列ですので、並びたくなかったら(あるいは疲れたら)こちらへ行くといいです。
こうして、あんみつとの良い出会いがあったなぁ、と思っていたころ、京都土産でよく見かける生麩饅頭のお店、三昇堂小倉さんであんみつを取り扱うようになっていたので、「ほうほう」と思い購入してみました。
これが同じ食感の寒天だったんですねぇ。
江戸寒天並みの程よい硬さ。黒蜜とも合います。生麩まんじゅうはもちろんおいしいです。
三昇堂小倉さんの生麩あんみつ、おすすです。
こう立て続けとなると、これは京都寒天(あんみつ用)に何やら変化が出たと思っていいかも。
寒天発祥の地は今の京都市伏見区で、発祥も命名も京都かもしれないけれど、発祥の頃は江戸期のはじめ。きっとあんみつがあんみつとして洗練されていったのは江戸の地に違いない、とひそかに思っていた私ですが、この変化は大歓迎。
地方の郷土菓子は別としても、和菓子といえば何でも京都じゃないな、と思っていましたが、和菓子といえば何でも京都になる日が来るかもしれないなぁ。
あんこの美味しさを教えてくれたのは京都なので、寒天が追い付いた以上、東京のみはしさんの遠さに嘆くことはなくなりそうです。うれしいです。