(お話)天文または宇宙の模様

ひどく暑い午後を越え、気持ち良い風が吹く夕べのことだ。

そのころ私は、私のために大きな犠牲を払った弟に対して、その犠牲を贖えるものを見つけたくて、長い旅をしている時で、自分では思いがけない人に出会ったり、思いがけない場所に向かったりしていた。

旅を続けていたある晩、西に沈む夕日を眺めながら、東の空に薄く表れている月を見て、とても偶然に知り合った人のことを思い出した。

私にとってもはるか昔の思い出の中に、一人の星読みがいる。

星読みたちは今は物理学者と呼ばれたり、宙空科学者と呼ばれたり、天文学者と呼ばれるようになった。でも私が知っていた彼女は、ただ、「星読み」と呼ばれていた。政治のための吉兆を占ったり、干ばつを予測したり、時には雨ごいの祈りをささげたり、悪い時には権力者の抗争に巻き込まれてしまうことがあったり、身を隠すことがあったりと、なかなか波乱万丈な人生を歩んでいた。

天文を読むそうだ。天にはいろいろな模様が描かれているという。地にあるいろいろなことを取りこぼさずに学び、人の動きをとらえ、空を見上げると、その模様からわかることがあるのだと。

ひどく賢い者だったが、とても不器用な者だった。その孤独さを私は哀れに思っていたし、その地位に私は敬意を表していたが、私と彼女をつないだ友情の架け橋は、単にやさしさとその不器用さだったように思う。

科学の発見がある。多くの人に検証されて、今では事実としてすっかり安定したように見える定説だ。(宇宙の話は面白い)

138億年前にビックバンが生じる。

45億年前から先カンブリア時代。地球が始まる。

彼女が亡くなったときに、彼女は天国へは行かないだろうといった人がいた。46億年前に、世界に生命がなかったならば、どうして天国が存在しようかと。天国が分子の爆発でできたとでもいうのかと。

彼女にとっては天国はないから、彼女は天国へは行かない、とその人は言った。信神深い司祭だった。

彼女が亡くなったときに、彼女は転生しないだろうといった人がいた。46億年前に、世界に生命がなかったならば、どうして輪廻の輪が巡っていることがあろうか。連綿と続く命の流れと、魂魄が分子の爆発でできたとでもいうのかと。

彼女にとっては魂魄が還る場所がないのだから、彼女は転生しない。その人は言った。思慮深い僧侶だった。

地獄や天国をだれもみていない。魂魄があるのかないのか、人は知らない。人に分かるのは、生きている「自分」が5感を有し、世界を感じ、心持っていることだけ。唯脳論という説だってある。

彼女が亡くなって何千年たっても、死後の世界を知る人はいない。彼女がどうなったか知る人はいない。自分がどうなるか知る人はいない。

ただ、信じるものがあるだけ。信じていることを肯定してほしいという願いがあるだけ。

彼女の遠い子孫である友人は笑った。あれは自分の信じるものを肯定してほしかったけれど、してもらえないと感じていた人の嘆きのそして憤懣の言葉だよね、と彼は笑う。

彼女が天から見い出した模様を刻んだ古い石板が家にあるんだ。歴史資料として貴重なものだ。でも実際は彼女が亡くなってから何百年か後の祖先の誰かが彫ったものではあるらしいんだけど。138億年前の「せかい」に何があったかなんて知らないし、46億年前に地球がなかったのは、まぁほとんど確かといわれているけれど、死後の世界なんて、科学的にもナンセンスだよね。

無から、今これだけのものがある。地球が誕生し、生命が誕生し、生命の姿はおよそ想像さえつかいほど多様で、美しくて、合理的だ。

これだけのものができたなら、別の次元では、生まれた命やあるいは魂魄が循環するための輪廻の輪が生じていたっていいし、六道が形成されたり、天国や地獄ができていたって不思議じゃないじゃないか。命の誕生とともにあらゆる概念のかけらが育ち始めたのだもの。なんだって起こりうるんじゃないかな。

古い石版に刻まれた模様は教えてもらえなかったけれど、その彼にしたって表面的なものを見ているだけで、彼女の語った言葉の真意は解きがたいものだと思う。

彼女はとても穏やかに、自分の身の回りのこと、世界のすべてを肯定した。日々の糧を得るための役割的なものとして多くの言葉を発したけれど、自分の言葉はその時自分が判断したことを伝えているにすぎないのであって、真実を世界に伝えているつもりはなく、真実は自分が教えてほしいのだもの、と笑っていた。

彼女の占いが当たったのは、神秘の力があったからではなく、彼女が地の情勢を取りこぼさず、人の動きと心の機微から、きちんと論理だてて考える人だったからだということを私は知っている。

彼女は結構いい加減な面もあったので、自分に関して悪く言われているすべてを、残念に思ったり皮肉に思ったりしつつも、それも良いと笑い飛ばしたことだと思う。私は星の中に彼女の姿を見るけれど、いつも柔らかく笑っているから。

孤独な人だった。望みがかなわないことに苦しんでいた。真実を探していた。

でも、幽霊も、天国も地獄も。唯一神も八百万の神も。何が一つの真実かなんて気にもしなかったろう。彼女が探していた真実は、そういうものではなかったのだから。そのどれであっても死後の世界があるのは素晴らしいことだと笑ったろう。その世界が素晴らしければ、形は気にせず、子を失った人のため、父母を弔った友人のために心から喜んだろう。

天文が伝える。

世界は有象無象でなんだって起こりうる。

その美しさを伝えることが、彼女が目指した星読みと呼ばれた仕事だった。

1秒間に地球を7周半回る光に包まれて、1秒間に340m広がる夏色の音の波の中で、ミクロからメートルに及ぶ無数の命に囲まれて、その神秘と奇跡を否定できる人は一人もいない。

天文と呼ばれる天に浮かび上がる模様が描くのは世界そのもの。

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