アルハンブラ宮殿
学校教育というのは偉大なものです。
その手法に工夫が凝らされ、多くの人間がより優れた教育を、年若い次世代の者たちに授けようと日々試行錯誤しています。あるいは、老いてなお志を持った人たちに。
洗脳や間違った知識、政治的に利用されることも時代の中ではあり、常に問題を抱えているといえども、世界に学校を普及させるために払われた犠牲を、決して忘れたくないと思っています。その人々に心から敬意を表します。教育によって世界の見え方がどれほど変わるか、知識によって、世界の姿がどのように変わるか、それを感じたときの心を一生忘れずお墓まで持っていきます。
13,14歳の頃に教わった歴史の先生は、大変話が面白い方で、彼女の授業を受けながら、大人になったらぜひしなければ、と思ったことが二つあります。そのうち一つが、世界3大建築であるアルハンブラ宮殿、アンコールワット、そしてタージマハルを見てから死のう、ということでした。3つのうち、タージマハルをまだ見ていなくて少々焦っているところです。コロナで手段も途切れていますが、命あるうちに行けるように努力しなければいけません。
それはともかく、今日はそのうちの一つアルハンブラ宮殿を訪問した話。これまでいくつかの国を旅して、素晴らしいものをいくつも見たけれど、こと建築についていえば、アルハンブラ宮殿は私が見た中で一番美しい建築物です。庭も建物も、称賛を惜しみません。これまでの旅の途中で見た絢爛な建築物は、と言えば、このアルハンブラ宮殿とフォンテーヌブローのお城の図書室。日常的にそこを出入りしていた人を思うと、垂涎の念に堪えません。
アルハンブラ宮殿はムーア人が作ったの形作ったアラベスクの、太陽光を使った文様の美しいこと、華美になりすぎないトルコブルーや赤や黄色の装飾の異国的なこと、神秘的なこと、それでいて自然光が躍るそのあけっぴろげな空間の静謐で屈託のないこと。
石やタイルで作られた建物のそこここに木材も配置され、窓は大きく風が入り、目に入る風景、つまり庭には鮮やかな緑が溢れしかも涼しげ。あのような建物は、後にも先にも見たことがありません。
当時は若かったこともあって、褐色の肌を持つお姫様がどのように暮らしていたか夢想したものです。でもなんでしょう、お姫様だけじゃなくて、子供の笑う声や志高い若者、落ち着いた壮年の人たちも歩き回っていることを感じることができる空間でした。その誰もが穏やかで平和に満ちているような。王の城など絢爛な建物を見る機会も多くあったと思いますが、アルハンブラ宮殿が、何より美しかったと思うのは、そのせいもあると思います。
歴史を見ると、別に平穏な時だけに満ちた建物じゃないのですけどね。
ワシントン・アービングという米国人が、長く滞在していたことを示す石畳があり、彼が小説家だったとユースホステルでできた友人に聞いたものですから、昔は長く旅をしてきた人というだけで、王侯貴族にもてなされる価値があったんだろうなぁ、と嫉妬も交えて思ったものです。しかし同時に、自分なような小娘でもその空間を歩くことができるようになった時代に深く感謝し、泊まっているのがユースホステルでも、昔だったらここを訪れたというだけで自分も同じようなもてなしを受けられたかもしれないと言えるような気がしたりもしまして、カラっと明るい気持ちになったりしたものです。のちにワシントンアービングは外交官であったと知り、それは宮殿でもてなされて当然である、と思い直しましたが、その時感じた、女も一人で旅できる時代、海を越えてどこまでもいける時代になったことへに対する喜びは、その後もずっと胸の中で生きています。勘違いも時には良いものです。
スペイン語ではHを発音しないので、アランブラ宮殿、でも定冠詞も付くので、ラランブラ宮殿と発音するのが正しいそうです。私は当時友達に教えてもらった通りに呼び続けているのと、定冠詞などつけなくても、その美しさから世界にただ一つだけのもの、という強い意識を持っているので、アランブラ宮殿と、親愛の気持ちをもってそっと呼んでいます。
夕日に沈む姿を遠目に見るのも美しいけれど、日の光踊る建物の中でアラベスク模様を見つめ、青空に生き生きと伸びている植物と、その涼しげな木陰をみること。そして夜にはきっと、その装飾に負けない美しい星々が空を彩るのが窓辺から見えたであろうと思われる窓から空を眺めながら空想の翼を広げること、そのすべてに価値があり、そのすべてが素晴らしかった宮殿です。昼には太陽の光が、夜には本物の星々が天蓋を飾るあの場所には、機会があればもう一度行きたいなぁ、と思います。昼でも夢が現れる場所というのは多くないです。
とはいえ、先にタージマハルに行かないと、なんだか安心して年を重ねられないので、先にタージマハルに行った方が良いだろうと思っていますが。
ちなみに大人になったら是非しよう、と強く思ったもう一つは、年を取ったら室生寺で尼僧になるということだったのでした。室生寺は日本で初めての尼寺で、その話を聴いた授業で、それは格式高い素晴らしいお寺だったというだけでなく、そのお寺が女性の救済という点でも重要な役割を担っていたと聞き、仏教系の女学校に通っていた私には、この上ない出家先に聞こえたのだろうと思います。その気持ちは、実際のところ強かったのですが、残念ながら私がようやく室生寺の地を踏んだ時には、男であれ女であれすでに僧を持つお寺ではなくなってしまっていました。その時聞いた話では、その頃にはもう近隣のお寺の尼僧さんが2名、時折掃除に来るだけであるということでした。
お寺には入らず結局無宗教のまま今日まで来た私ではありますが、なんだか尼さんみたいな人生送ってきた気もしますし、旅をして自由であった喜びがあるので、これはこれでよかったと思います。けれど、だからこそか、余計にタージマハルには死ぬ前に行かなくちゃ、と思っているところです。
私をあの場所に導いてくれた先生との出会いに感謝しています。