器を変えずとも
人は変わる。これに驚く人はいまいが、それでも本質は変わらない、という人がいる。
例えば三つ子の魂100まで、というようなものかもしれない。
けれど本質とは赤子の頃から決まっているものと考えることもできる。
だから、本質も移ろうものだ。
そう思うことはないだろうか。
幼児以降にその思いを覚えている人はほぼいない、というが、赤子として無垢な存在として生まれるときでさえ、不安と葛藤と多くの血と涙が流れる。それは胎動を通ってくる赤子本人のものの他に、母という、そして家族という存在の不安や葛藤を伴う。本人以外の苦しみを。
大人になって、生まれ変わるような経験をする際にも、やはり多くの血と涙を伴っている。育ちきってからの生まれ変わりは、赤子より力ある大人であっても、本人は自身の苦しみを乗り越えるだけで精一杯であるが、それは往々にして、結局のところ、その人の周囲の人の苦しみがやはり伴走しながらの誕生となる。その人を大切に思う人たちがいなければ成立しない。
だからどちらの場合にも愛と喜びもある。新しい誕生を祝福する光がある。必ずある。
’
ここに一つの器がある。
ブリキでできた人形だ。
散歩中の東風の女神と北風の女神が、人形を見つけてそれは喜んだ。無邪気な少女の女神だ。彼女らと彼女の友人らはブリキの人形でしばし遊んだ。
そこに少年たちの一団がやってきた。南西の海の神の子供らだ。少女たちは慌てて隠れた。慌てた少女の手がブリキの人形をつかむことはなかったが二人の少女は人形をできればもって行きかったので、その淡い心が人形には残された。
人形は少年たちの気を引かなかったが、少女たちの遊んだ形跡をみて、少年たちは少し残念に思った。ポピーの花畑の中に残された人形の周りには、彼らの知らない風の名残があった。
風の女神の少女たちに聞いてみたいことがあった。彼らが視ることのない、高い山や深い谷の話。そこに生きる生き物たちの。彼らは、女神の淡い心が残る人形に優しく触れて立ち去った。
そして、その場には少年たちの淡い心が残された。
ブリキの人形は花畑の中に残された。太陽の光をさんさんと浴びて、その体は炎よりも熱くなった。やがて夜が更け、朝露が下りた。時には霜が。そしてある時は雪に埋もれ、凍てつく大地の上を、ブリキの人形は横たわっていた。
土から生まれた植物に覆われ、地上で生きる生き物の仮の棲み処になった時期もあった。熱と水を循環させて生きている生き物たちの活動を、いつしかブリキの人形は、淡く感じ取るようになっていた。地上の生と死の流れが、人形の空っぽの体の中を駆け巡った。
愛情をこめて人形を撫でた、神々の子供たちの淡い気持ちは人形を温め続けた。
人形の口元に笑いが生まれた。
温かい。
生き物たちがいとおしかった。
山の心や土の心、草や花の心、虫や動物の息吹が人形に注がれた。
太陽と月の光が人形を幾年も照らし、やがて、空っぽだったブリキの内や外に淡く残された想い達が九つの魄となった。神々の思いを糧として、循環する自然の流れによって生まれた魂魄。
こうして、ブリキ人形は、心を宿した。
‘
痛みも苦しみもなく、しかし愛も喜びもなく、生まれ出でた心は、本当の命を夢見る。けれども手段がわからずに、ブリキ人形は、旅をはじめる。
自分を知り、本当の命を得る旅だ。
今の彼は片足だけに血肉が巡る。愛する者の痛みの上に得たものだ。
だから今の人形にはいくばくかの不安もある。循環する自然を感じる静かな喜びしか知らなかった人形が、初めに覚えた感情は不安だった。
人形にはまだわからない。人間の弟をどこで得たのか覚えていないが、彼にとって大切な存在は今のところ弟だけだ。
いつか弟の兄にふさわしくなりたい、そのために自分の本質を替える。
空っぽのブリキを動かす神々の淡い淡い痕跡と月日のもたらしたエネルギーを感じる人ならざる者たちは、彼がいつまで夢を見ていられるか、痛ましく見つめることもあれば、逆に鼓舞することもある。
命を得るために、愛と喜びと痛みと苦しみが必要なことを彼が知るのはもっと先のことだ。自分以外の、彼の大切な存在の、血と涙が流れることを彼が知るのはもっともっと先のことだ。
本当の命は、彼には移ろわぬ証に見えた。
‘
変化は破壊と再生だ。
諸行無常の世界の中で、本質が生まれる。その際も例外ではない。
だから、本質は、気が付かないくらいの早さかもしれないが、長い長い時をかけて、変化する。耐えられるくらいの長い時間に痛みと苦しみを分散させる。変化を産む者たちが自然に生み出した不文律。愛と喜びがなければ、破壊の後に再生するまでの時間がかかる。再生できずに失われることさえある。失われればそれは永遠に還ってこない。やがて新しいものが創られるまでの無限に見える長い時間。
それでも在り続け、変わり続ける。それ故に本質であり続ける。
これを理としたのは、風であったか水であったか。火であったか鋼であったか、空だったか大地だったか、月だったか太陽だったか、星だったか宇宙だったか、誰も知らぬが、そのすべてに命に刻まれている。