家族になってくれたのは…

これまでどのような動物たちと触れ合って生きてきただろうか

金魚、亀、ジュウシマツ、犬、小鳥たち…

縁日で、金魚すくいをするのは楽しかったけれど、縁日の金魚は病気を持ってることが多かった。家にいた立派な先住の金魚が病気をもらって死んでしまったこともしばしばだ。世話をしてくれていたのは父だったように思う。

金魚も長いものは20年以上、実家で父母とともに生きていた。

亀も縁日で求めたものだが、亀すくいはせずに倍額出して購入した。私はそういう子供だった。

しかし飽かずに愛でたミドリガメにはサルモネラ菌がいて、手洗いがおろそかであった幼い時分のことだったこともあって感染し入院、飼育禁止令が出された。

悲しむ私に両親が与えてくれたのがジュウシマツだ。

母が生まれたヒナを手のりにしたこともあって、彼らは私の生活を明るく彩ってくれた。

どんどん増えて多い時には20羽近くいた。小屋掃除のときに逃げ出すのが時々いて、団地中を駆け回って探し回った。

兄弟の一人が鳥が逃げたベランダから指令を出し、二人が近所の家のドアベルを鳴らしては上がりこませてもらって鳥を探したものだ。団地っ子は団地内であれば誰の家のベルを押すのもためらわない。

思い返せば、ベランダがごみ箱化していたお宅もあったので、切羽詰まった子供の来襲に、何も言わず扉を開けてベランダ探索をさせてくれたご近所さんは、本当に温かい人たちだった。

あの団地の子供で私は幸せだった。

蛇の襲来があったり、いじめがあったり、一番長生きで祖母の命日に共に息絶えてしまったあの子にはバファリンを飲ませたことだってあった。

10代の時は鳥の命を預かっていることは私にとっての最重要事項だったように思う。

それから犬がやってきた。犬は全部で4匹。

彼らはいじらしくて、私のことを家族の一員であるというだけで、心から愛してくれた。世界に純粋な愛があるとすれば、彼らのそれに勝る物はないのではないか、と思う。

そうしてもう何年も何も飼っていない。

窓から鳥を眺めて、通りすがりのリスに胸をときめかせて、猫に餌を遣り損なったりしながら、一人静かに暮らしている。

仕事柄家を空けることが多かったのも一つの理由だ。

ベランダで植物を育てても、出張から帰ってきたら枯れてしまっていたこともしばしばだった。

ベランダの植物と静かな家を少し寂しく思う、都会の風景

家族と暮らす人も、動物と暮らす人も一人で暮らす人も、みな少し不器用で無様に愛情深く、心のキャンバスに色を塗りつけながら、幼い日の友を思い起こして過ごしているのかな、と思う

共にいてくれる存在は重たいときもあるけれど、時とともに美しくとめどなく胸を照らす灯りになってくれるのだ。

君らが記憶にあることに深く感謝している

ひととき、家族になってくれて、本当にありがとう。

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