誤解を生む相槌

海外で仕事をしていた時、多少なりとも日本を知っているとか、僕は親日家とかいう人たちと話していると、時々、「君は日本人らしくないと言われるだろう」といわれることがありました。

こっちは外見の話ではなく、どうも、意見をはっきり言い過ぎる、とか、ノーというから、とかが理由じゃないかなぁ、と疑っています(なぜって、親日家に言われた場合、これは…)。社会に出てから、日本では特に(世界でも)男性には、これでずいぶん嫌われました。意見を出し合って話し合う、という立場や社会にいないことに気が付いていなかったのですね。静かに観察したら、確かに私の世代の女性は、男性に命じられたことは、そういう命令をするような関係にないはずの人からの言葉でも、すぐさまささっとする人が多いことに気が付き、なんだか気がめいったものです。

私は日本で生まれ育ったのに、なぜそういうふうに育たなかったのか、やはり育った環境が恵まれていたのでしょう。それが悪かったとは思いたくないものの、職場の調和を乱す存在として嫌われるわけですので、やっぱり落ち込んだものです。

それはともかく、日本人といえば、ニコニコして「イエス、イエス」というのがどうもイメージとしてあったらしく、なんなら自分でも「Noooo!!」と叫んでいるような気がしていた私は間違いなくそのイメージには合わなかった模様。。。

しかし、ある日の海外でボスと話していた時、驚くべき事実が発覚しました。

「君はすることはYes、しないことはNoとはっきりしてるね。昔、カズと話していたらね、カズはいつだって、私が言ったことにはイエスイエスと言ったよ。ただねぇ、イエスと言ったことを全然しないんだ。あれはなんでだったんろう。」

えー、それって相槌じゃないの!?

「それって、こんな感じ?」うん、うん、という相槌を打つ仕草をしてみると、「そうそう。」と笑うボス。

そこで、日本語の会話ではね、相槌っていうのが大事でね、英語にもあるでしょ「ンーフー」みたいな言葉が、あれが日本語では「はい=イエス」なんだよ、と一生懸命したところ、ボスもびっくり。

「あ、じゃあ、あれは、了解した仕事をする、というイエスではなくて、単に聞いている、という意味のイエスなのかい?」

そうそう、と私。ここまでは良かったんですね。しかし…。

「わかりくいね!」というボスに、「え、そうかなー。」と首をかしげたことが災いしました。

その後しばらく職場で、何か連絡事項やお願いがあって一生懸命話しているときに限って、ボスがニヤリとして、いやにハキハキ「イエス、イエス」というようになったのでした。そして、これが同僚にも波及して、一時期職場全体のブームになりました。

で、結論から申しますと、確かに紛らわしい!

日本語では気にもならなかった「はい、はい」ですが、その習慣のない英語での会話で、話しの間の度に、「イエス、イエス」といわれると、確かに案件が通ったような気がする!

まぁ、この時は物事をはっきりさせる性格だったのが幸いして、「じゃ、この案件勧めていいね?(イエスorノー?)」と会話の最後で確認を取っていたので、仕事に支障は出なかったですけども。

しかし、実体験で経験させてもらえたおかげで良くわかりました。習慣によるものだから、なかなか、ニコニコして「イエス、イエス」ということをやめることは難しいかもしれないですが、これ、かなり高い確率で、日本人にイエスマンのイメージを与え、しかもイエスと言ったことを実行しないという誤解を与える原因になりそうです。

ちなみにこの相槌ブームは、割とすぐに治まりました。職場の皆も、分かりにくい、と思ったからに違いありません。

ボス、面白い人でした。

言葉と文化について考えさせられた経験です。

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