(雑文)帝王学

小さいころ物語を読むのが好きでした。

物語に出てくる王子は子供のころ、家庭教師に帝王学を学んでいるわけです。勉強嫌いは私たちと一緒。

小さいころ、帝王学とは何だろう、と思ったものでした。地理や政治が含まれるらしい。算術や剣術も含まれるらしい。道徳や法律も含まれるらしい。

子供なりに辞書を引いたり人に聞いたりしたと思いますが、結局は人の上に立つ人が学ぶ特別な、そして力ある学問なのだ、ということで落ち着きました。

最近、wikipediaが解説しているのを見つけました「帝王学とは、王家や伝統ある家系・家柄などの特別な地位の跡継ぎに対する、幼少時から家督を継承するまでの特別教育を指す。「学」と名はついているが明確な定義のある学問ではなく、一般人における教育には該当しない。」と書いてあるのを読んで、そうだったのか、と思ったものです。インターネット便利ですね。そして小さいころの私、なかなか良い線いっています。

しかし私はここでふと、疑問を持ちました。だって帝王学を教えてるのって、家庭教師ですよ。

王でもなんでもなく、勉強した、という人たち。王様でない人が教えてることって、人の上に立つ「イメージ」のもとに教えてるってことでしょうか?もちろん、父親か母親が「帝王」で、跡を継ぐための学問である以上、親からの薫陶はある程度あるでしょう。物語の中には、親に会えなくて寂しく暮らしている王子様やお姫様が多く出てはきますけれども。

人の上に立つイメージってどんなものでしょう。優しい心と思いやりと勇気があって、大切なものを守る必要がある時に、それを守れるだけの正しい判断ができるに十分な知識があること。そしてその大切なものがやや多い人が人の上にいる人。

そんな感じではありませんか。

それで私は思ったわけです。戦後の日本人は皆、優しい心と思いやりと勇気があって、必要な時に正しい判断ができるに十分な知識があることを理想とした教育を受けてきています。そして、昔の王子さまやお姫様よりもよほど家族との時間を持ち、お父様やお母様を困らせたり笑わせたりしながら大きくなります。ということは、どんな職業でもあなたが家督を継いでいたら、あなたはその家の帝王学を納めているといえるのではないかしら。家督を継いでいなくても、その教えをちゃんと生かして暮らしていたら、あなたはあなた自身とあなたの大切な人を守る学問を納めていると言えるのではないかしら。

21世紀、現代の日本人、そして世界中の多くの人が、生れ出た家で一番優れている大人の薫陶を受け、学校で優れた知識を与えられている。

つまり帝王学を納めた人ばかりなのではないかと。

一人の人間として生を受けた私たちは、自分できちんと立つための学問を納め、愛する人を守る力を授かっている「一人の人間」という王や女王なのではないのかしら。大切なものの多い方は、その上、豊かな王や女王なのだ。

論語「為政」

吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず

孔子の論語は、身分の高い人だけでなく、庶民の教科書として昔から使われていたものです。

孔子は、一人一人の人が身分にかかわらずすでに王や女王であることを知っていたのでしょう。

孔子って2000年以上前の人です。2000年前の人が教えてくれていたことに、人生の終盤になってようやく気が付いたようです、私。その解釈正しさへの確信とともに、自身の授けられた知識を活かす力のなさへの気づきとなった、老年の発見。

子供心にとても特別に感じた学問をすでに授けられていたなんて、すごい発見です。なんだか誇らしい気持ちになりましたので、誇り高い一人の人間であり続けることができるよう、みなさんにお伝えしたくなりました。

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