びっくり、指月城(萩・京都)
島根県安来市の月山富田城をおよずれて以来、山城好きになりました。
大変魅力的です、山城。あまつさえ日参していた人々のいた城に向かう厳しい道筋。登ることそのものから、往時に想いを馳せざるを得ません。
そういうわけで、行く先々に山城がある聞くと、できるだけ訪れるようになりました。
私が訪れた山城は山陰地方が多いのですが、このなかで、日参する人々のために個人的に喜んだのが、風雅な萩にある萩城、別名指月城。なぜって城主が日々を過ごす本丸が山のふもとにあったからです。毎日お世話に行っても足腰に辛くなさそう。
本丸の背後にそびえる指月山の上にも最後立てこもる詰丸があったのですが、人々が暮らす本丸が山のふもとにあることが、安来にあった尼子氏の月山富田城とちがって毛利氏の安定した統治を感じさせたのでした。
さて本日の「びっくり」ですが、その指月城、近所に同名のお城があったのでびっくりしました。
京都伏見桃山城、かつては指月城と呼ばれていたそうです。私がふらふら散歩したりすることもある場所はその昔、伏見指月と呼ばれ、初代伏見桃山城も指月城だったそうです。桃山という名は福福しく、指月という名は凛々しいです。統治者や歴史を思うと、その名称の移ろいにもなんとない時代を感じさせます。
私は年の割には歴史に強いわけでもなくお恥ずかしい限りではありますが、月山富田城からは誠実な潔さを感じ、尼子氏には不思議な哀切を感じています。命よりも名誉が重かった時代ですから、どの戦国武将もそうなのですけれど。。。尼子氏の居城から始まった山城訪問、たくさんあるわけではないですが、私に武士の時代の歴史の扉を、生き生きと開いてくれたきっかけとなったのでした。
コロナで旅には出づらいですが、毎日歩くこの道から歴史を旅することができる。
これは何となくうれしいことです。このことに改めて気が付かせてくれた、同名のお城の発見に嬉しくなったのでした。伏見桃山城は、名前と違って山城じゃないですけどね。
明日の散歩は、500年前には指月の森と呼ばれていたらしいエリアをめざして行きたく思います。