(雑文)錦の織物
人類の社会史を見ると、歴史を大きく変えるものに、まず戦争、それからそれこそ文明が。産業革命が人類の歴史に及ぼした影響は、筆舌を超えます。戦国時代、維新、世界大戦…、人類の歴史は争いに満ちています。
しばらく前に「天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント」という映画について書いたことを思い出しました。「あなたはなぜクリエイティブなのですか?」という質問に、アーティストや政治家、起業家が答えていく映画です。その回答の中に、クリエイティブであることを、平和と結び付けた回答がいくつかあったことを思い出しました。それから、文化と。
そういうことに気が付いてふっと浮かんだことを書いてみます。
もっと時間をかけて考えていこうと思うことですが、まずは自身の忘備録として。
縄文文化、弥生文化について考慮してもなお、日本文化の起源は、インド・中国という大陸から、シルクロードを経て、あるいは朝鮮半島を経てもたらされたといっても良いと思います。文化は、善意と愛によって、日本にもたらされました。
そして平安時代に宮廷文化が花開き、江戸時代に大衆文化が花開きました。
わが国では、文化は、隆盛、成熟、衰退を経るものの、常に平和の時に発展している。
西洋の文化には宗教と戦争によっても築かれているものも多くあるように思います。一方で、日本という国は、文化の発達に平和が果たした貢献が比較的大きな国ではないでしょうか。
「昼の客人のために、寒い春の朝に、若菜を摘み、寒くないわけではない(辛い)けれど、その寒さはやってくる客人を想えば苦ではなく、雪の中に顔出す若葉もまた、友人や恋人を出迎える私と喜びを共にするように美しい」
大戦においては敗戦国であったとか、理屈で作る理由は多くありますが、山に、海に、川に、土に、喜びを見出し、文化を築く素地が、こうした文化を生んだのかもしれない、と思いました。
「戦時中、芸術は、在るものを見ないようにして作られていた」という文豪の言葉を聞いたことがあります。
兵隊に行かず、戦争前の平和な時を過ごしていたその家で、その町で暮らしていた人々が、存在しているのをあえて見ないようにしていた在るものは、戦局ではないでしょう。それは、花を生け、食事を作り、隣人を想い、家族と笑う、なんでもない毎日だったのではないでしょうか。自分の身の回りの錦の織物であり、自分自身だったのではないでしょうか。
もちろん苦しみが生んだ芸術も多くあり、それぞれに切なく胸を打つものがあります。
ただ、ふと思っただけなんです。
文化を育てるのは平和で、平和を守るのが文化で
一方で、文化を構成するものは、芸術だったり、時代だったり、文明だったり、それこそ戦争だったりすることが、ひどく不思議だと。
文化について思うとき、日本のそこここに残された美しき大陸の文化、香港を想い、ミャンマーを想い、おおらかで温かい中国から来た友人たちとその笑顔を想い、台湾を想い、チベットを想い、そしてなぜか連鎖の中で東北を想い、コロナを想い、オリンピックと世界を思い、シリアを想い、難民について思い…、いろいろなことが心に浮かぶのでした。
織物は、その手を止めては、紡がれないし、仕上がらない。
形のないものだと分かっているけれど、叶うなら。
勤勉に織りあげられていく、この時代の織物を見てみたい、と思いました。
きっと妙なる反物でしょう
でも、笑顔を運ぶ織物でしょうか、涙を運ぶ織物でしょうか
その織物を、すべての命が、誇りとともに身に着けて、幽界の境を超えるのだから、安らかで暖かな織物であれば、この時代を生きる一つの命として、それ以上の勲章はないように思えました。