(覚書)歴史のなかの外国語学習法

音楽の先生とお話ししていて、なんだか奥深い気持ちになる気づきがありました。

これは面白い、と思ったので、覚書を残しています。

最近Youtubeなどで、日本人が英語のコミュニケーションが不得意なのは、日本人が英語を習得しすぎないように終戦後アメリカがそういう英語学習法を日本の教育に導入したからだ(アメリカの陰謀?)、という不可思議な広告が出ているのを知っている方はどれくらいいるでしょうか。

外国語を学んだ日本人が、文法は得意なのにコミュケーションが苦手、というのは、確かによく聞くことで、うっかり煽られて「そんなはずないけどそんなこともあるのか?」と思いそうになる方もあるかと思うのですが(お恥ずかしながら私も一瞬…。)、さすが、海外で長く生活し、音楽という芸術を習得された先生。

「でも日本では外国語ってそもそもそういうものですよね?」と、一言さらり。

つまりですね、この島国は、音として日本語があり、文字として漢字(中国語)があった。中国が日本という国を見つけてからきっとずっと。つまり2000年くらい前からずっとです。

われわれは外国語を学ぶときに、コミュニケーションを目的としたことが、確かにひどく長い間、欠落した文化の下に生きている民族なのです。中国語を話せた通訳は、かつての日本でも支配者階級にほんの一握り。治世も法律も科学も文学も外国語(中国語、あるいは韓国語)で学ばれ、日本の支配者階級のほとんどが外国語で読み書きができたし、彼らはそれを習得することが必要だったけれども、その言語でコミュニケーションをとる必要はなかったわけです。それこそむしろ日本語を習得した渡来人の方が多かったと思われます(郷に入っては…です)。教養と文化と科学をもたらしたものたち(マイノリティ)が、土地の人(マジョリティ)を教育するために現地の言葉を覚え、記録を残すために自国の文字を使い、文字のなかったその土地の者たちに自国の書き言葉を教えた、というのは、史実です。

そして読み書きを教わった、聖徳太子や金印の頃の支配者階級の人々が日本で教育を受けた人たちで、その後、教育を広めた先師たちです。

文字と言葉が異なる速さで発展した文化、しかも高度な書き言葉が文化形成のごく初期の段階にすでに海外から導入されていた日本という国では、外国語習得とは文法を習得することだった、と言っても過言ではないのでは?

大陸の人たちは、外国語をコミュニケーションとして使わざるを得ない。マジョリティとマイノリティに簡単には分けられないほど、国境は近接し、外国語を話す人々は身近です。言語の中でも時間をかけて習得する必要がある、書き、読むという悠長なことよりも、まず、聞いて、話すことの習得が急務であり、重要にならざるを得ません。

逆に言うと、日本の伝統的な教育(つまり我々が授かった教育)は、文法を習得するうえでは、歴史的に証明されたひどく確実でパワフルな方法なのではないかしら。

海外でTESOLコース(英語を母語としない人に英語を教えるための教授法)などを修了し、日本に持ち帰ることには、文法習得では高い教授法を持つ日本に、口頭のコミュニケーション習得のための教授法が欠落しているので、ここを補う、という意味があるわけです。

そうやって考えたら、われわれ、外国語が話せても話せなくても、文法学習の方法だけは、海外の友人に胸をはれる学習法を持っているかもしれません。なんなら文法の習得の教授法を学びに、大陸から日本の教授法を学びに来てくれてもいいと思うけれど。

今は文法の価値が下がったのかしら。少し残念。

ふふ。

私たちの国では、外国語を学び、書物を手にして、その文化に魅入られた人たちは、その土地を訪れたいと思うので、言語コミュニケーションを学んできました。これまでも英語を学ぶ過程で、いつか、英語圏の文化の魅惑の世界に気が付き、伝統的な外国語学習法のままでも、聞く、話すことに熱意を持った者たちは一定数はいたのです。けれどグローバリゼーションの結果、世界はそういう心の機微を待ってはくれなくなりました。2000年の間に、この国では文化に魅せられていなくても、その国の言葉を話すことが「必要」な状況になったのですね。

そういうことに何だか今更ではあるのですが、改めて感じ入ってしまったのでした。

余談ですけれど、日本に船を出しちゃうような階級の人たちの古代中国の教育は、詩(文学つまり文字)に起こり、礼(礼儀、姿勢)で磨かれ、楽(音楽、つまり音)で昇華する、と聞いたことがありますので、教養のあった渡来人が原始的な文化を有していた日本の人たちに言語を強要しなかったヒントもまた、渡来人が受けてきた教育のによるような気がします。

因果というのは不思議なもの。本当に。

そう思ってちょっとおかしくなった日曜の昼下がり。

(も一つ余談ですけど、えぇ、音楽を習っています。琵琶の名手として知られる鴨長明が、歴史に語られる名手な割に、琵琶を習い始めたのは40歳の時と知り、私のような凡人も、歴史に残る名手と呼ばれないまでもそこそこ人生の終焉に向けてかなり音楽を楽しめるようになるのでは、と思って不惑を過ぎて少しの頃に習い始めました。年とともに楽器に触る頻度はだんだん減ってしまいましたが、自分で奏でる音を、自身の耳で聴くことには、不思議な安らぎがあります。始めてよかったと思っています。こういう風に、何かに気づけたかもしれない、というのもまた、心にさざ波を起こす喜びです。英語でいうならjoy、漢字で書くなら歓喜です。そして小さな時から今日までずっと、新しく何かを知ること、学ぶこと、身に着けることは、心に甘露がこぼれる心地なのでした。)

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