(雑文)望む安らぎの形

最近なんだかなぁ、と思うことがあります。ちょっとつらつら、悲しい気持ちも混ぜて独り言を書きたい今晩です。

小さいころ、物忘れというのは恥ずかしいことでした。特に小さなころは年の割には物覚えが良かったということもあって、さっきのこと、昨日のこと、おとといのこと、それはよく覚えていました。でも「覚えている」という形ではなくて、時間が過ぎる中で経験したことは経験したこととしてただ記憶の中にあった、という方が正しいです。

そして年を取って、小さいころのことを鮮やかに覚えているけれど、昨日のことはさっぱり覚えていない、ということもあるようになりました。でもこれも、「忘れる」というわけではなくて、時間が過ぎる中で経験したことは経験しなかったことのように記憶から消えた、という方が正しい気がします。

忘れてしまったことに対して「あらら」、とは思うものの「しまった」とはあまり思わなくなりました。

老いについて考えるとき、ボケることについては考えない、ということは難しい。つい考えてしまいます。昔は自分が自分でなくなることだと感じました。いや、今でもそう感じる気持ちは消せないのですよ。でも、身の回りの家族や友人、そして自分自身について、忘れていくことは、本人にとっては本当につらいことではないんだなぁ、と最近しみじみと感じるようになったのでした。

お友達や家族が私を忘れていたら、はじめましてからやり直せばいいだけです。願わくばお友達や家族もそうしてくれるとよいと思います。語り合いたい思い出を語れなくても、その思い出は損なわれないし、忘れていてもなかったことになるわけではなく、いつか記憶の引き出しがふっと開いたときに、情けない気持ちになったり、幸せな気持ちになったり、あるいは悲しく思ったり、恥ずかしく思ったり、そうしながら、老いて残るものは、経験が形作っていた私なのか、生まれた時の頑是ないけれど純粋な私が残るのか、その中間のような魂が残るのか。何が損なわれているのか、あるいは豊かになっていることもあるのか、とても不思議な気持ちがします。

生まれた瞬間から多くのことを学び、身に着け、一つずつ失うことは努力したり誇りに思っていただけつらいことではあるでしょうが、人から忘れられ、自分も忘れながら、一つずつ失い、やがて残る「自分」は何だろうか、と考えます。

失うのでなく、得たものを還元することで消えていればいいと思うのだけど、現実はそういうわけではなさそうですしね。単に忘れて、情けないだけのときばかりです。

仕事をしていたころは、3年前に一回数十秒ほど顔を合わせてあいさつを交わした人でも、相手が私を覚えていれば、忘れてしまっていることは相手を軽んじたことになり、とても申し訳ないことでした。けれど社会的地位を失えば、私が覚えていないことに気を悪くする人もいません。そもそもそういう人は、仕事をしていた時だって、自分が私を覚えていないことを申し訳なく思いそうな人でもなかったけれど。でもそういう時、私は小さいころは出会った人は誰でも覚えていたのに、今は大半を覚えていないんだ、と気が付いてびっくりします。ただびっくりして、ちょっと残念に思って、そしてそれで終わり。

若いころ死生観を説かれるたびに、死ぬときは愛するものをすべて後ろに残していくのだ、と憤慨したものですが、老いれば、愛したものを多く失った状態でもあるので、その先で再会することに期待も持てるものなのかもしれません。

道を歩きながら通り過ぎる10代の子供たちが、10代の頃の私と同じように悲しんだり喜んだりしながら今日を暮らしていること、中年といわれる人たちが、同世代のご老体の皆さんが、やはり様々な思いを抱えていること。共通の経験があるだろうということ、思いもしない経験もあるだろうということ、そういうことを想いながら街を歩くようになりました。ふ、と通りすがりの人が奇跡の塊のように見えたりします。

そして、ぼんやり過ごして家に帰って何も覚えていないと思うようなとき、なんだか安らかに感じます。平和な世界に、人々があふれて、各自の生活をともかく回していることに、なんだか安心します。

心配事がないわけではないけれど、心配することは何もないような、変な脱力感です。

私は20代のころから、ゲームで精神年齢検定などすると80歳などと出てくる娘でした。なので実際80歳を過ぎた場合、160歳の心持になれているといいのですが、そういうわけではなさそうなのが少し残念です。生きた分賢く、生きた分思慮深くなりたい、という気持ちがまだあるうちは、私もまだまだ若いのでしょう。

忘却について考えるときに、安らぎについても考えるようになりました。老いによる忘却は神様の最大の慈悲かもしれないと。

けれど、だからこそ、隣で生きている若い人たちには、いっぱいの光が差せばよいと願うようになりました。

苦しみがあっても悲しみがあっても、愛される子供に降り注いでいるような光を縁として生きていればよいと。生きた分賢く、生きた分思慮深くなれる苦しみであればよいと。

ミャンマーのこと、香港のこと、気にしているうちにウクライナでも戦争がはじまりました。これまでもシリアで、アフガニスタンで、いろいろなところで戦争はありましたが、大国が絡んでいるのと、建前のレベルでさえ背景や理由があいまいである、というので世界中の人がデモなどの抗議行動を起こしています。プーチン氏の歴史観がどうであれ、政治的段取りさえもすっ飛ばし(たように見えます。誤認の部分があればご容赦ください)て武力行使に出たとあっては、それを正当化する理由は、本人さえ「勝つため」以上の説明はできないのでは。。。

武器をもって、相手を殺し始めたら、その修復にどれほどの時間がかかるでしょうか。始まってしまってはもう取り返しはつかないものです。今は、戦争でない日常を、早期に取り戻せれば取り戻せるだけ、人類には未来がある。戦争をしながら、気候変動に働きかける人なんていません。家族を失いながら、あるいは自身の命をさらしながら、廃棄物を減らそうとか、森を守ろうとか、絶滅危惧種を救おうと思う人はいません。平和という足場を失えば、何かを改善したり、救うことは不可能です。自分自身でさえ救えない。

武器を持って戦うことは、実際に戦っている現場だけでなく、地球上のすべての場所にいる子供たち、人々の未来が失われていくことです。

昔は先生と政治家は悪口を言われるのも仕事の一環だと思っていましたが、世界中に友達ができて、社会の複雑さも身に沁み、いまは国であっても職業であっても、自身のかかわっていないことを安易に非難することには抵抗を感じるようになりました。だけれども、何もかも複雑だからと言って、それを放置していいことにはならないことも解っています。

いま私たちは隣にだれが住んでいるか知っています。隣人が同じ人間であることを知っているのです。

人類は殺し合いを繰り返してきましたが、平和を愛する人の方が平和を嫌う人より多いことも自明です。ところが自身は平和を好むといいながら、他者の平和を顧みない人たちがいます。他者を踏みつけることに無感動になっている人たちです。別に戦争のレベルでなくても、まだ平和を保てている日本社会でも身近にいます。

人間の心の在り方がどれだけ人間世界を壊すのか、今一度考え、各自ができるについて考え、実行していかなければならない、と感じています。

若い人たちにとっては、安らぎは忘却からもたらされるのではなく、思い出からもたらされるものであって欲しい。

うさぎ島といわれる大久野島の懐っこいウサギたちは、大戦の際に毒薬の実験のために人が持ち込んだ実験動物が生き延びた姿です

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です