(お話)雨上がり

「お前はとても汚いわ」薄汚れた犬を見て、お嬢さんは顔をしかめた。雨はとても激しいけれど、この子を家に入れると、後が大変かもしれない。

「玄関まででいいかしら?」

お嬢さんは歌うようにそういって、濡れそぼった犬を玄関口に入れた。嫌がるかと思ったが、戸口につないでみたら、ずっとおとなしくしている。

素敵な赤い傘を差したくて、雨の中町へ行った。その帰りに、家の近くに元の色さえわからないほど薄汚れた犬がいた。とても元気がなさそうだった。空からはまるでバケツをひっくり返したような水が降ってきている。気になってしばし眺めていたら、濡れてしぼんで今にも倒れそうだったから、急いで一度、家に帰ってソーセージを差し出してみた。そしたら、嬉しそうしっぽを振ったので、そのままこっそり連れてきてしまった。恐る恐る手を出したけれど、犬は噛まなかったし、ついてきた。

お嬢さんは玄関にいる犬を見て、思案する。濡れた犬は臭いけれど、大丈夫、お父様もお母様も今日は不在。帰ってくるまでには犬のにおいも消えて、いつも通りにできるでしょう。赤い傘をさして、素敵な雨ブーツで水たまりの上をはねるお嬢さんは、洗濯と掃除は得意なのです。

「お前はここにいたらいいわ。今日はこんなに外はびしょびしょだもの」

お嬢さんはにっこり笑った。今日みたいな日に外にいるのは、いくらこの野良犬が若くて丈夫で、そういう状況に慣れているといってもつらいでしょう。ちょっといいことをしている気分になったし、犬はとてもおとなしかった。多分両親が気にしないであろうタオルを持ってきて敷いてやる。

「アマガエルがいたわね。私のかっこいいブーツが気に入ったみたいだったわ。」

お嬢さんはちょっと離れてしゃがみ込んで話しかける。犬はブルブルっと体を震わせて水を飛ばすと、つぶらな瞳でお嬢さんをじっと見つめる。

「お前今は暖かいわね?大丈夫ね?」

お嬢さんは驚かせないように犬にも掌がどこにあるか見えるように犬のあごの下の方へそっと手を差し出して、やさしく犬の体をポンポンたたいた。犬はまたお嬢さんを見つめる。その犬が自分の小さな掌から、ブランコ乗りが上手だった、探し人の想い人を思い出していることなんて、お嬢さんは少しも知らない。

親しくない動物の目を見つめてはいけない、という常識にのっとり、お嬢さんは犬を見つめ返したりもしない。弁えた、あるいは弁えたつもりのお嬢さんなのだ。

「今日はここで眠って、明日になったら行きたいところへどことなりとお行きなさい。」

そういったら犬は安心したように身を伏せた。そう、この子にはいきたいところがあるのね。お嬢さんはうなずく。まだ湿っていて、やっぱりかなり臭いけれど、一見おとなしい犬だって見知らぬ人間からごしごし拭かれたら怯えたり怒ったりするかもしれないので、できるだけ暖かいように乾いた布を与えておく。

飼えないならそっとしておきなさい、と両親は言うけれど、一晩、ひと時のぬくもりで助かる命だってあると、お嬢さんは思う。大人はすぐ、飼う、飼わない、と話を飛躍するけれど、生き物には付き合いってものがあってもいいはずだ。見つけたこの子のことを、今は好きでも嫌いでもないけれど、もしこの子が明日私が家に招き入れたことで元気を取り戻していたら、私はこの子を好きになるかもしれないわ。そしたら友達になるかもしれないし、いつかはとても親しくなるかもしれない。でも今は、ただの濡れて助けが必要そうな弱った犬なのだから、何かできることをするだけでいいんじゃないかな。

気に入りの赤い傘と、素敵なブーツで歩きたい、その気持ちで土砂降りの中を一人でさっさと街へ行くようなお嬢さんだが、なんだか体の内側が少し暖かくなっていた。実際は濡れて冷えて仕方ないのに不思議だ。

犬はすっかり落ち着いて快適そうな様子になったので、お嬢さんは自分を乾かすことにする。

「お前が私のところにいる間、寒くなく少しでも安心できるなら、それで私は満足だわ。」

偉そうに思ったお嬢さんだったけれど、翌朝玄関の戸を開けたら元気に駆けていってしまった犬の後ろ姿には少しがっかりした。

さっさと行ってしまって、ちょっと寂しいわ。

「恩を売ったわけではないけれど、お前、もう少し私を惜しんでくれてもよかったのに」お嬢さんはぶつぶつ言いながら翌日は洗濯をしました。犬が寝ていた玄関も水で流して、お日様でよく乾かして、お父様とお母様に怒られないように。

一部始終を見ていたアマガエルはイボガエルに聞きました。どうして怒られるのさ。褒められないのかい?

イボガエルはしたり顔で言いました。親は子供が自分の許可しないことを子供が勝手にやったら怒るもんだよ。お嬢さんは賢いからそれを学んでいるのさ。

「なぜ?横暴じゃないか」アマガエルはちぇっとつぶやいてひゅんと舌を出しては虫を掴まえる。むしゃむしゃ、うまい。ちぇ。

イボガエルは思いのほか優しく笑った。「そうしておけば、子供が危険なところに勝手に行ってしまったり、知らない間にケガすることがないだろう」それに親には、犬がどんなに優しい犬かなんてわからないからね。

「詭弁だよ」憤慨したようにアマガエル。

「詭弁だがね」落ち着いた風にイボガエル。

でも、お嬢さんは少し後先考えないところがあるから、ああいう親がちょうどいいのかもしれないさ。

イボガエルは目を細めた。

イボガエルがお嬢さんが好きだ。車のビュンビュン通る道の真ん中で困っていたら「お前、危ないわよ」といって、人差し指でお腹を持ち上げて、草むらに移してくれたことがある。

見ていた通りすがりの大人がイボガエルには毒があるから触っちゃだめだと叫んだから、別にそっと置いてくれたわけでなく、適当に置いたら慌てて手を洗いに行ってしまったけれど。

そこはカエル、草むらに華麗に着地したが、「毒があるなんて失敬な」と憤慨したものだ。けれど、そう、イボガエルのいぼのある表面に触ると手がかぶれたり、痒くなったりいぼができたりする(だからイボガエルって人に呼ばれているわけですね)、っていうのは本当だ。でもお嬢さんは、カエルを掴んだわけでなく腹の下に指を突っ込んで持ち上げて草むらに落としただけなのだ。腹を触る人間はあまりいないがここにはそういう粘液は出ていない。優しくしてくれる者には害を与えない仕組みをイボガエルだって持っている。掴まれるのは好きじゃない。いや、ともかく言いたいことは、お嬢さんの手に問題は生じていない。

お嬢さんは今日は別におしゃれじゃない。汚れていい服を着てせっせと働いている。お嬢さんは天気が悪かったり、嫌いな人が来たり、というときはあえて明るい色でおしゃれする人なんだ。でも晴れて世界が生き生きした時は身なりなんて気にもしない。

イボガエルとアマガエルは苦労してよじ登って赤い花をそっと窓辺に置いておいた。

さっさと行ってしまった犬だけれど、彼には彼に大事なことがあるのだから仕方ない。でも犬だってお嬢さんの事、少しは好きになって、お嬢さんに笑って過ごしてほしいと思ってくれたみたいですよ。

イボガエルとアマガエルは、ふつう昼は寝ている。だけど赤い花を届けるために、少し夜(昼)更かししているわけだ。そして犬に頼まれた一仕事が終わったので、池のほとりにぴょこんぴょこんと戻っていく。

「お嬢さんはさ、犬に好かれてたことに気が付くかな。」アマガエルが帰り道、ポツンと言った。

「どうかな、お嬢さんは、我らに好かれていることにも気が付いてないからな」イボガエルもぽつんと答えた。

思いやりや好意はちゃんとそこに寄り添ってあるのに、なんでか悪意よりも、小さくてささやかで気づくことさえ時にはとても難しい。しっとりと冷たく、肌をそっとなでる雨上がりの空気のようなものだもの。

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